西野そらの日々の事ごと

日々のさもない事ごと

わたしはいま、混乱している。

 上の子の妊娠がわかったとき、わたしは専業主婦の道を選んだ。いや、選んだというほど大層なはなしではない。たんに仕事をしながら赤児を育てる発想がなかったというだけ。

 仕事は代役がきくけれど、母の役目をだれかに任せるわけにはいかない。若いわたしは(といっても30歳)そんなふうに考えていた。  

 

 『〈女流〉放談 昭和を生きた女性作家たち』*を読んだ。

 日常の雑事を夫人が引き受けるから、男性作家は創作活動に専念できる。一方、家事をして子どもの面倒もみるのだから、女性作家は男性作家ほど専念はできない。男女平等でないこの点をどう思うか。この問いかけに昭和を生きた女性作家たちがそれぞれ答えている。

 

 進化する時代に変わらぬこの問題。これは作家に限らない。

 25年の専業主婦時代を経て、2年まえから非常勤の形態で仕事をはじめた。仕事をはじめてからこの本と出合ったから、余計にひっかかるのにちがいなかった。

 母の役目。

 娘たちが25歳と19歳になり、あらためて母の役目を考えている。

 乳幼児の時期はあまりの小ささに「わたしでなけりゃ、だめ」強くこう思っていた時代であったけれど、そんな時間は思いのほか短い。

 ごはんをつくり、清潔な衣服をしたくし、それなりに片づいた部屋で暮らす。こんな暮らしの基本の基以外に子どもの年代に応じて、やることはあるとしても、思い返すと「わたしでなけりゃ、だめ」という類の事ごとではなかったような気がする。

 ただ……。わたしが暮らしの基本の基をどう繰り返してきたか。いろいろな人や事ごとにどう関わってきたか。どんなふうに怠けていたか。子どもたちは無意識にわたしを見てきて無意識になにかを感じているだろうとは、思う。

 とすると、わたしの存在じたいが母の役目ということなのかもしれない。

 

 で、不安になった。

 いまや大人4人がそろっているというのに、うまい具合に家事の分担できない。夫と娘たちは「手伝い」でとどまっている。

 あたしだけ仕事もして、家のことも回してるじゃないのっ!  とやるわたしに夫と娘たちは口をそろえるのだ。

「そんなに大変なら仕事やめれば?」

 暮らしの基本の基。まさかこれを、母の役目だと娘たちに刷り込んでしまったのか。これは男女問わずある程度の年齢になれば、だれもがしてゆかなければならないこと。

 とはいえ、基本の基は奥が深い。家のことに専念するからこそ、みえてくることは少なからずある。

 家事分担問題。わたしはいま、混乱している。

 

 *『〈女流〉放談 昭和を生きた女性作家たち』イメラ・日地谷=キルシュネライト(岩波書店

 

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5月下旬の夕焼け。

この日、久しぶりに夕焼けに気がつきました。

しばらく空を見ていなかったことに

気がついた日でもあります。

西野 そら