西野そらの日々の事ごと

日々のさもない事ごと

ハレの日の服

 先週、クローゼットの古株であるコートのことを書いた。

 じつを言えば、黒いスーツについて書くつもりでいたのだが、おもいのほかコートへの愛着を吐露しすぎてスーツにまでたどりつかなかった。そんなわけで2週にわたり、古い服の話です。

 

 次女(高校生)の卒業式の前日。

 クローゼットから黒いスーツを取り出したときだ。あらっ、と思わず肩のあたりを二度見した。テカってる?

 素材がレーヨンと絹で、もともとわずかに光沢のあるスーツではある。しかし光沢とテカリは違う。

 ついにきたか。

 遡ること12年、長女の小学校卒業式を控えた3月初旬に、この黒いスーツをもとめた。長女と次女が6歳違いゆえ、翌月には次女の小学校入学式と続き、購入後早々2回の登場とあいなった(長女と次女の入学式の日が重なり、中学の入学式には夫が出席した)。

 長女の小学校卒業から次女の高校卒業までの12年間、3年おきにどちらかの入学式と卒業式に出席してきた。ある年には入学式用にクリーム色のスーツをもとめたものの、着たのは1度きり。手が伸びるのはこの黒いスーツであった。

 つまり。このたびの次女の卒業式さえのりきれば、娘たちのハレの日のほとんどをこのスーツは見届けることになる。それだから、ついにきたか、と思うと同時によくぞここまで、という心持ちでもあった。

 

 そして、卒業式を終えて家でスーツを脱いだとき。

 よくぞこの日までと、褒めてやりたくなったのは自分自身にでもあった。

 朝、スーツのジャケットのボタンをかけた途端、これまでにない着心地になった。少しばかり胸のあたりがキツイ。

 12年前のわたしは42歳。42歳といえば30代とおさらばして数年である。若くもないが若くなくも、ない。若くなくもない当時の体型がスーツのサイズ。あの日以来、体のお肉たちは重力に抗うことなく下がっていった。とはいえ、スーツが着られなくなるほどの体型の変化には至らなかったのだ。

 わたしったら、よくぞここまで踏ん張ったじゃないか。

 

 スーツと自分自身に労いの思いを感じた数日後。

 にわかに大学入学式への出席問題が沸き起こった。長女は付属高校だったので、大学の入学式には出席しなかった。付属という理由だけでなく、大学の入学式は親が出席しなくてもいいような気もしていたからだ。

 しかしここにきて、大学の入学式にも相当数の親が出席するらしいとわかったのだ。

 いまならまだ、スーツと体型はなんとかなる。さて、どうしよう。

 

 

f:id:sosososora:20190327163043j:plain

西野 そら