西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

機能

 LINEで文章を書くのが苦手だ。なんせ、文字を打ち込むスペースが小さい。少しばかり長文になると、打ち込んだ文が表示されなくなるから文が書きにくい。書き終えてからスクロールして読み返せばいいのだけれど、それが手間。読み返さずに送信する。だから誤字、脱字が多い。で、苦手意識が芽生える。

 そも。LINEを使うようになったのは次女が高校に入学した2年前。必要にせまられた。いつのまにか、連絡網がメールや電話からLINEに取ってかわっていたのだ。

 つまりLINEといえば、娘のクラスLINE、部活のLINE、学んでいる講座のLINE。わたしにとってLINEは進化した高度な連絡網がわりである。圧倒的に連絡される側であるから、長文を書くことはさほどない。たまに書く長文が先に書いた苦手意識につながるというわけだ。

 

 次女が高3になり卒業対策委員を引き受けた。

 担当者は6名。ことを運ぶにあたって、会合は2回だけ。それ以外はLINEでのやりとりでまかなっている。わたしにとっては便利そうでさして便利でもないLINEであったが、この度その印象に変化をもたらした。集まらずとも事が進んでゆく効率のよさに、拍手を送りたくなったほど。

 ……が、肝心要で弱かった。

 連絡をすると直ちに返答があるLINEでのやりとりが、重要なことを決める段でやりとりに間があきだした。文字の伝達では発信者の意図を察することまでできない。そうなると臆測が顔を出してくる。単純さが複雑さをはらみ、事が進まなくなるのだ。

 

 で、会合となった。LINEでサクサクと日程を決める(こういいう決め事はLINEの得意とするところ)。

 当日。顔を付き合わせ(視覚をはたらかせ)、他者の意見を聞き(聴覚の精度をあげて)、話し合う。過ぎる懸念も過ぎる気遣いもなく、サクサク事が運んだ。

 わたしたちの感覚はLINEに負けず劣らずの、高度な情報機能といってもいいのじゃなかろうか。