西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

8月のある日

 8月のある日。

    夏休みの甥っ子がやってきた。ヒロくん。小学5年生。人生ゲームの盤を引っ張り出し、遊ぶ。

 ヒロくん、チャンスのマス目で見事大金をつかむ。

「ゲームなんだからね」念を押さずにはいられないほどの欣喜雀躍ぶり。

 小学生の男子にとって現実の世界と仮想の世界の壁は薄いのにちがいない。ゲームであろうと、大金をつかんだ<自分>が心底愉快なのだ、きっと。無邪気だなあ。ヒロくんはどんな大人に憧れるのだろう。どんな変化をしてゆくのだろう。 

 

 8月のある日。

 かすかに聞こえていた雷鳴。とうとう近づいてきた。

 ピカリと放つ電光、腹に響く雷鳴がわたしは苦手。でも、この雷は……。じわじわと広がる雨雲は……。さあ、降ってきましたよ。ひとしきり雷様の太鼓を聞きながら、この雨が恵であることをおぼえ直す。

 窓を開けて過ごせる午後はいつぶりだろう。

 

 8月のある日。

 仕事でポカをやった。数ヶ月に一度あるかないかの端末の操作手順を忘れたのだ。仕方がないと思う。そう思うから忘れるのだろうとも思う。かろうじて止まっている記憶もある。忘れてはならぬ。操作手順を覚えるとき自分にこう言い聞かせた。

 言い聞かせたそのことは、覚えている。

 

    8月のある日。

 眺めるともなくカーテン越しに空を眺める。秋の雲。ベランダに立って、額のあたりに手をかざす。

 おお、昨日より断然、空が高いじゃないの。生ぬるくない風も随分とひさしぶり。

 そういえば。暑い盛りの蝉の声は夏を際立たせる。というのに、高い空のもとで鳴く蝉の声は、たちどころに秋を感じる。

 

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8月のある日、ベランダから見た空です。

西野 そら