西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

役目

 たとえば、学校の保護者会。先生の笑いのとりかたにピンとこない。大人の集まりといえどもそう長くは続かないのが集中力である。先生は保護者たちの様子を察知しながら緩急をまじえ話される。「はい、ここが笑いどころ」という箇所では、笑うための間もあって即座に反応するひともあれば、まわりが笑っているから笑うひともあり、笑わぬひともある。思い通りに笑いが起きない場合は「ここ、笑うところです」と発言される先生もある。

 わたしは先生の発する可笑しさに気付けぬまま、周りからあがった笑いにハッとして形ばかりフフフと笑う。そして、胸の内で思う。なにが可笑しいんだろう。あまりにも機知に富んだ話で、わたしがついていけてないだけなのか。先生の「はい、笑って!」の号令に、だからなにを笑えばいいの? わからないことが少なくない。

 

 先日、『だから?』(*)という絵本を読んだ。

 なにをしてやっても喜ばない気難しいビリーのために、いろいろとしてやるお父さん。「だから?」がキーワードのおはなし。

 ビリーが口にする「だから?」のあとには、なにを期待しているの?という言葉が見え隠れする。だれかの(絵本の場合はお父さんであるけれど)計らいのもと発せられる言葉や振る舞いには、子どもでなくとも時として「だから?」と言いたくなることがある。小さなビリーは感じたままに「だから?」を言い続け、最後にどんでん返しがふりかかる。ここにはどんなどんでん返しだったか書きませんけれど。

 

 絵本を読み終えて、こうも思った。「だから」のあとに続くのは「なにを期待しているの?」だけではないな、と。見聞を広めるそのうちに「だから、面白かったんだ」「だから、怖かったんだ」「だから、お父さんはこんなことをしてくれたんだ」ものごとの根拠や道筋を知ってゆくのである。

 だから、いろんなことを子どもに言ったりしてやったり、あえて言わなかったりしてやらなかったりすることは大人(親だけに限らず)の役目。

 

  (*)『だから?』(セーラー出版)ウィリアム・ビー作 たなかなおと訳

 

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撮影 夫

西野 そら