西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

「おーい、オンナたち」

 東京駅の1、2番線ホーム。停まっている電車の、まだ、そこかしこが空いている座席の端に座る。発車時刻まで数分。あとからあとから人が乗り込んできて、たちまち席は埋まっていった。

 まもなく発車するわさわさしたホームから、

「おーい、オンナたち」

少しばかり張り詰めるような大きな声がした。その方向へ目をやると制服を着た中学生と思われる男子3人がわたしの乗る車輌にサッと乗り込んできた。

 オンナたちとは車両の端にいた女子3人組。遠足か修学旅行なのだろう。どうやら、先に乗り込んでいた女子たちは乗る電車をまちがえていたのらしい。電車から降りろと、指をホームに向け合図をおくり男子たちは電車から出ていった。

 一方の女子たちも「オンナたちだってぇ」とかなんとか言いながら、バタバタと電車を降りたちょうどそのとき、電車の扉は閉まったのだった。

 あら、男子ったらやるじゃない。でも、「オンナたち」だなんて。可笑しくなって「オンナたちって」とわたしもつぶやく。

 いまどき、男とか女とか性差を語るとなにかとややこしくなるけれど、まあ、それでもあえていうが、中学生ぐらいだとまだ、男子よりも女子の方がしっかりしている。

 わたしの中学時代、娘たちのその時代を思い返してみても、どうも男子は幼かった。ふたり以上集まればおふざけが始まってこ突き合ったり、ひとりでいるときにはぼーっと考えごとをしていたり。「ふざけないで」とか「ちゃんと聞いている?」女子はあれこれと世話をやくが、中学時代は男女を意識しだす年頃であるがゆえ、男子はやけに女子との距離を置きたがる。距離を置きたがるあまり、聞こえないふりなんかをしてさらに、女子を怒らせるようなことがあるのだ。

 しかし、電車とかバスとかの類については、男子の方がわかっているのかもしれない。名前も呼ばれず、ひとくくりにされた「オンナたち」は男子の活躍によって間一髪のところで間違いに気がつくことができたのだ。

 それにしても、「オンナたち」なんぞ久しぶりに耳にした。そのうえその響きは少しばかり懐かしくもあった。そうだ、伊丹十三の『女たちよ!』(新潮社)も読んだっけ。いつからかオンナという言いようは憚られはじめ、女性とか女子にとって変わったのだ。

 でもきっと、男同志ではいまでもオンナと言いあい、女同志ではオトコと言っているのじゃなかろうか。いや、だれのまえだろうと憚らずオトコと言っているな、わたしは。

 

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伊丹十三の『女たちよ!』の写真を撮ろうと 

本棚を探したけれど見つかりませんでした。

ずいぶん以前にもとめたので、

古本屋にだしてしまった気がしないでもなく。

そのかわりに

『やってみなはれ みとくんなはれ』山口瞳 開高健(新潮社)と

目があったので、久しぶりに読み直そうと取り出してきました。

『それは私です』柴田元幸新書館)は今読んでいる本。

西野 そら