西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

「スマホ、忘れてきたみたい」

 

 年末年始をハワイで過ごすこととなった。

 成田空港へ向かう。

 うちの最寄り駅から電車に乗るのは次女とわたしの2人。夫と長女は出発当日のこの日も出社したからだ。夫は次女とわたしが新宿駅から乗る成田エクスプレスに東京駅から乗車する。長女は成田空港で落ち合うという算段だ。

 

 さて、話を続けます。

 最寄り駅から新宿へ向かう電車に乗るや、いやな予感がした。隣に立つ次女に気づかれぬようにコートのポケット、ジーンズのお尻のポケットに手を当てる。が、それらしい手応えがない。手提げカバンのなかを静かにかきましてもアヤツは姿を現さなかった。やはり置いてきたのだ。やってしまった。でもまあ、しかたない。パスポートのように旅行自体を揺るがす不可欠なモノとはちがう。なきゃないでどうにかなる。むしろこんな忘れ物ですんでよかった。内心ほっとしながら、

スマホ、忘れてきたみたい」

次女に耳打ちする。まだ隣駅に着く前だった。

「エッー、嘘でしょう?取りに帰ンなよ」

呆然とし、且つ怒りを秘めているような面持ちの次女にわたしもまた、呆然とする。

「どうして帰らなきゃいけないのよ。スマホがなくても困らないから大丈夫」

「ママは困らないだろうけど、みんな困るから、戻って」

次女はわたしの平静ぶりに、そうとう腹が立ったようである。自分のスマートフォンをチャッチャと操り、まだ会社にいる夫にラインで成り行きを訴えている。

 夫も取りに帰れということだったらしいが、

iPadもノートパソコンも持っていくのよ。なんならわたしがiPadを持ち歩けばいいはなしでしょ?第一さ、今から戻ったんじゃ、成田エクスプレスの時間に間に合わないから」

 戻らないとキッパリと次女に宣言したのは最寄り駅と新宿のちょうど中間地点だった。憤懣遣る方無い次女。ラインで報告した長女からの返信「意味不明」(わたしの言動の意味がわからないということらしい)をわたしに伝え、どうにか腹の虫を納めたようであった。

 それにしてもだ。スマートフォンへの依存たるやどうだろう。スマートフォンを持たない不便さを家族ほど感じていないわたしであったが、実をいえば夫や娘たちが思いもよらぬほどに呆れ果てるから、にわかに不安がたちこめたのだ。わたしはスマートフォンの威力を見くびっているのかもしれない。

 いやいや、かつてハワイを訪れた折にはスマートフォンなどなかった。最後に行った6年前ですら、携帯電話は持っていたもののさほどそれを使った覚えもない。だから、このたびもきっと大丈夫。

 

 ハワイに着いた途端。わたしは夫か娘どちらかの傍にいるようにしたし、ついふらふら歩き回っても気がつけば夫か娘のだれかがわたしの傍にいた。 果たしてスマートフォンがなくても困ることはなかった。

 とはいえ現地を歩く人、ビーチで日光浴をしている人の手は、人種に関わらず大抵スマートフォンらしきものを握り締めているから、驚く。そういえばこれまでのハワイ滞在に比して、言葉や地理のわからなさからくる心許なさは薄れたかもしれない。それが夫と娘たちが各自でスマートフォンを持っていたからなのか、大人4人(ひとりは17歳ではあるが)の甲斐性の賜物かはわからないにしても。

  

 成田空港でトランクを待っているときだ。

「ほら、スマホがなくても大丈夫だったでしょ?」

わたしの問いかけに、呆れた顔で次女が言った。

「大丈夫だったのは、ママだけ」

    

          

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2018年が明けて、はや9日。

本年もよろしくお願い申しあげます。

西野 そら