西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

月とドーナツ

 思いがけず、大きな大きなまあるい月と遇う。

 月と遇う。こんな言い方はおかしいけれど、此の度はまさに「遇う」がふさわしかった。

 

 うちは集合住宅の4階。玄関先から左にすすむとエレベーターホールに続く廊下にでる構造である。そうだ。廊下の向こうは東の空が広がっていることを書いておかなければ、月と遇った話をはじめられない。

 月と遇ったのは玄関を出て、左への一歩をだしたその時だった。わたしの目線の先に広がる夜空に(といっても夕方の5時を回った時間ではあるが)、大きな大きなまあるい月がいた。「いる」というのもへんであるけれど、月がそこにいて、思いがけず遇ってしまったと言う以外にどう言えばよいのかわからない。

 いつもは見上げているだけの月だけれど、この日の月は大きく、近かった。知り合いと遭遇したような驚きと懐かしさだろうか。「こんばんは」声にはださなかったが、わたしはとっさに胸の内で挨拶をしたような気さえする。

 

 どうやら、わたしの遇ったあの月は、ことし(2017年)一番大きく見える満月だったらしい。当日の深夜パソコンをひらいて知る。12月にはいって3日目のことだ。

 

 思いがけず、外での仕事と出あえた此の年。

 最後の一枚となったことしのカレンダーにも出勤日が記してある。出勤するたびに初めて経験することがあった7ヶ月である。初めて経験することにたじろがないために、できるだけ体力や気力を温存させようと、家の事ごとはルーチン的にすませてしまった7ヶ月ともいえようか。

 それにしても、仕事をはじめた4月から師走になるまでの早いこと早いこと。日々をなし崩しに重ねてきたような気がしないでもない。が、この年もわたしの人生の一年であり、すぐにはわからないにしても、なくてはならない日々であったはずであると思いたい。

 ことし一番の大きな大きなまあるい月に遇えたことも、いつかふと思い出しては懐かしむ日があるのだろうな。

 

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12月3日の月の写真は撮らなかったので、

その日夫が土産に買ってきたドーナツを

撮りました。

西野 そら