西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

がんじがらめ

 苦手意識が芽生えると、ことさら、だれかに対して苦手意識が芽生えてしまうと、うまくゆかなさが重なる。いや、うまくゆかなさが重なるから苦手意識が芽生えるのか。きっと、どちらもあり得ますね。

 うまくゆかない人とは、互いの相性がよくないのであって、わたしに話しやすい人があるように、わたしとはうまくゆかぬ人も、わたし以外のだれかにとっては、相性抜群で話しやすい人となる。それだから自分と合わぬ人の言葉に、徒らに傷つきたくない。そう思ってはいるが、いくつになっても不意にくらう言葉に心が沈むことは少なくない。

 

 少しばかり気持ちが沈んだまま、家に帰ったある日。

 居間の窓の向こうには、夕焼けが広がっていた。いよいよ沈む太陽があたりを金色に輝かせていて、思わず窓際に立ちつくす。家のものがいれば共に見られただろうに、あいにくわたしひとり。その空が蒼暗く変わるのに、さして時間はかからなかったが圧倒的な自然の美しさは、わたしの心を穏やかにした。

 そういえば、ピアニスト辻井伸行がラ・カンパネラを演奏するユーチューブをみたあのときもそうだった。何をしていても物思いしてしまうから、考えずにいられるユーチューブをあれこれ見ていて、ゆくりなくも、そこにたどり着いたのだ。

 繰り返すがユーチュブで聞いている。だというのに演奏が始まるや引き寄せられ、しまいには涙まで流れた。言葉のない自然や音楽が、言葉にがんじがらめになっているわたしを解放し穏やかにした。

   

 とはいっても、自然の脅威にさらされたり、耳障りな音のつらなりに苛立ったりすることもあるわけで、言葉が無力という話ではない。くれぐれも誤解なさいませぬように。

 

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10月のある日の空

西野 そら  

 

今週のお題「私の癒やし」