西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

基本のキホン

 ああ、ひどいったら、ありゃしない。

 なにがひどいって、このところのわたしである。 

 

 週に数日、外での仕事をはじめた今年の4月から、家の仕事の大切さに気がついていないわけではなかった。いや、気がつくというよりも、むしろ大切さを思い知らされたていた、というのに。

 

 家の仕事を大きくわければ、料理。洗い物。洗濯。掃除。本当はこれ以外にも暮らしの彩りに花を生けたり、壊れもの破れものの修繕をしたり。料理、洗濯、掃除をしやすくするための、(たとえば糠床の手入れとか、買い物だとか、ひどく汚れた洗濯物のつけおきとか、掃除機の掃除とか)、暮しの瑣事は事欠かない。なにより外で気を張る家族が家に帰ったときに家の中やわたしが穏やかであることは、些細なことであるが大切であると考えてきた。

 これは四半世紀、家のことを担当し思うようになったことだ。

 

 というのに、外での仕事を始めて。

 家とは関係のない場に身を置く緊張。仕事の覚えられなさ。面白み。週に数日とはいえ外で仕事をしながら家の仕事をする大変さ。いろいろなことが綯交ぜになり、気持ちが家に向いていなかった。

 とつぜん、家のあちこちが、妙にくすんでみえた。くすんでるのは汚れているというより、なおざりに家のことに向き合っていたからだと思われる。

 外で働くことの大変さを身にしみて感じる。同時に家を担当するひとの意味もまた、しみじみ考えずにはいられない。

 

 

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鎌倉の大仏。

西野 そら