西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

心に居座る岩

 母と電話をしていたときだ。

「お父さんもお母さんも動物が苦手だったからね……。」

 母が反省めいた言葉を口にした。 

 わたしのブログ、7月11日の「不条理」を読んで、娘に動物苦手意識を抱かせたのは自分たち親の影響と考えたのらしい。

 7月11日のブログには捨てられていた猫のこと、そこから生き物へのわたしの考えを書いた。母はわたしの生き物への慈愛が薄いと感じたらしい。いいとか悪いというのではなしに、幼い頃に犬か猫でも飼っていたら、動物への苦手意識を抱かずにいられたかもしれない。反省にも近い思いにかられたようであった。

 83歳の母が50歳を過ぎた娘をみて、いまもなお、こういうことを思うのだなあ。

 娘の立場であるわたしとしては、犬猫が近づいてきたとて追い払うわけでも、危害を加えるわけでなし。なにか問題でも? なにごとにおいても得手不得手はあるじゃないの。と思わなくもない。なにより、姉のところはヨークシャテリアを飼っているのだ。一概に親の影響とはいえないんじゃないのかしらね。

 とはいってもだ。これは娘の立場の発想である。

 親の立場では、仮にうちの娘がわたしと同じことを言ったとしたら、わたしも母同様、反省めいたことを思うはずだ。

 そういえば。

 つい先ごろ見た韓国映画『チャンス商会〜初恋を探して』で、「子どもは心に居座る岩のようだ」という台詞があった。親にとっての子のあり様を自分ではこれほど明確に言い表せられないでいたのだけれど、そうそう、これ。これです。

 雨風にさらされて、少しずつ岩は形を変える。その変化を止められはしないけど大地は岩を抱きつづける。

 わたしも子どもたちを思い通りにさせてゆくことはできない。できるのはいてやること。大地のようにどんと構えていられないとしても、反省したり、喜んだり、笑ったり、怒ったり、泣いたりしながら、わたしは、ただただ、いてやるしかできないんだなぁ。

sosososora.hatenablog.com

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西野 そら