西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

ナツシグレ

 ミーンミーン、ジージー、ジリジリジリリリ……。

 朝からその音の波は、あたりを響もしていた。無意識に聞き取っていたその音の波が、ある瞬間に蝉のこえであったことに気がつく。常よりはげしく聞こえてくる蝉の声。

 そうか、これが蝉時雨だな。

        

 これより数日前のことだ。

 日差しの強い、夏らしい日だった。わたしは仲間5人と連れ立ち西新宿方面から新宿駅に向かっていた。

「向こうの街路樹からの木漏れ日。まさに夏の風景だね」

 ひとりの言葉に、ほかの4人がいっせいに車道の向こうの方へ首を振る。あら、ほんと。太陽に照らされた街路樹はかすかに白茶けて見えるが、ところどころに光る緑と道路の陰影からは暑さと同時に涼しさも感じる。「ほんとねぇ」「夏らしい」。

「夏時雨。実際、こんな言葉はないんだけどね。」

と、切り出したのは博識で年輩の友人。

 時雨とは秋から冬にかけて降る雨のことだから、夏にはつかわないが「夏時雨」という言葉を考えたというのだ。そういえば、どういう意味合いでつかうのか訊きそびれたが、日差しが強かったり、曇りがちだったりしたこの夏のありようを表したのか。ほんとうのところはわからないにしても、夏時雨という言葉を聞いたとき、その響きに違和感はなかった。

「夏時雨、いいですね。蝉時雨は夏の季語ですからね」

蝉時雨はひとしきり鳴きたててはやむ、たくさんの蝉の声を時雨にたとえている言葉なのだそう。

「夏時雨もありですよ」

 街路樹の夏の風景に気がついた友人が、にわかに盛り上がった。この友人は俳句を詠むのでそういう方面にめっぽう詳しいのだ。

 ほお、夏時雨という言葉はないのか。なんとなくありそうではないか。それにだ。時雨が冬のことばであることもわたしは知らなかった。氷雨なら冬っぽくもあるが、時雨は夏のにおいがしなくもない。どうしてだろう。

 時雨、シグレ、しぐれ……。そうだ、かき氷はしぐれとも言うじゃないか。

「夏時雨、いいじゃないですか。かき氷をしぐれとも言うし」

ほら、わたしいいことを思いついたでしょ。そんな顔でみんなの顔を見渡した。うん、うん。一同、頷く。が、一瞬の沈黙あとだった。

「それをいうなら、(*)みぞれでしょ」

 

 そうか、これが蝉時雨だな。

 ツクツクホウシのこえも混じっているが、蝉時雨は夏の季語なのだと感じ入る。

 ああ、8月が終わる。

 

 

       *後日調べたところ、赤城しぐれというかき氷(カップ)の商品が

        赤城乳業にありました。

        わたしのしぐれ発言にはこのアイスのイメージがあったものと思われ

        ます。

 

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8月のある日の夕焼け。

西野 そら