西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

ものは言いよう

 さして狭くもない歩道でのことだ。すれ違いざまにぶつかりそうになって、あわてて肩を後ろにひいた。

 ほぼ同時に、

「ちっ、どこ見て歩いてんだよ」

 と、吐き捨てるように言う、七十代ぐらいのおじいさん。

「ごめんなさい」

 と、わたし。

 前方からおじいさんが歩いてくるのは見えていた。近所に住んでいるのであろう。綿シャツにズボンのいでたちは特別な印象もない。おじいさんとわたしが互いの進路の邪魔になるほどに接近したのは、たまたまそうなっただけで、どちらか一方のせいではなかったはずである。

 失礼とか、すいませんとか。言葉はなくても会釈をする。もしくは、なにごともなかったかのように去ってゆく。これがだれかとぶつかりそうになった折の、よくある反応ではあるまいか。

 それだから、その言いように驚いた。驚いて振り返りそうになったが、怖くてやめた。まさかなんの変哲もないおじいさんが、あんなことを言うとは……。虫の居所が悪かったのか。それとも毒づかないわけにはいられない性分なのか。

 

 そも、なにごとにおいても不平不満を言えばきりがない。

 元首相が言った「あなたと違うんです」。あのときは意味が限定されていたとしても、「あなたと違うんです」は言い得て妙である。

 だれもが自分とは違う人の中に身を置いているのだ。意見や思考ややりかたの違いに、感情の赴くまま「それはちがう」とまくしたてるか。なるほど、そういう考えもあると受け止めるか。はたまた関わらぬようにするか。対応のしかたに人柄や品格のありようがあらわれる。

 わたしなんぞ小心者であるから、たいていはそういう考え方もある、と、やり過ごす。どうなの?と思うことはままあるが、胸の内であれこれ思うだけだ。

 わざわざ意見したり毒づいたりして、不愉快になりたくない。できるだけだれとでも穏やかな関係性でいれるように過ごしてきた。

 しかし。

 仕事を始めたとたん、穏やかな関係性?そんな甘っちょろいことを言ってる場合じゃなくなった。なにしろ仕事には責任問題が生じる。管理職に就く人はやり方や考え方のちがいを一刀両断しなければならないのにちがいない。相手が不愉快になろうとそれは二の次なのだ、きっと。

 そうだった。仕事とはこういうものだった。でもね。「立場に関わらず、相手を不愉快にさせない伝えかた、ものの言い方を心得ているひとはいくらでもいますけどね」胸の内でつぶやく。

 

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本日8月22日で10歳になった甥っ子の足(21.5センチ )

これからお誕生日プレゼントを買いに行ってきます。

西野 そら