西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

不条理

 バイト先でのはなしだ。 

「ミャーミャー」

 窓の外から、か細い鳴き声が聞こえてくる。

 仔猫が捨てられていた。

 猫好きのひとの見立てでは生後2、3ヶ月。炎天下にもかかわらず日陰に行かず、水の入った容器を置いても飲もうともしないのだとか。 

 放っておいても大丈夫か。捕まえたほうがいいのか。せめて日陰に移してやりたいけれど、猫のいる場所が狭くてそう簡単に捕まえられないのらしい。

 太陽は真上にある。

 「このままじゃ死んじゃいますよ」

 バイトのひとりが職員に訴えた。

 結局、職員がネットで里親探しの活動をしている動物病院を探しだし、引き取ってくれることと相成った。引き取り先が見つかったからか、捕獲もスムーズに運びさほど時間もかからずに、涼しい事務室の机に仔猫の入ったダンボールが置かれた。

「ミャーミャー、ミャーミャー」 

 思ったよりも力強い鳴き声。

 

 実をいえば。動物が苦手なわたしはこのとき終始、傍観者だった。もっといえば、炎天下の中で命尽きるなら、それはそれで仕方がないことの一つであるような気もしていた。しかし一方では仕方がないと思う自分がちょっと嫌でもあり、目の前の必死に助けようとする人に恐れ入り、なんとなく居心地の悪さを感じつつことの顛末をみていたのだった。

 でもさ、猫を助けるなら、捨てられるほかのペットは?爬虫類とか。じゃあ、昆虫は?野生の動物はどうなの?慈愛に満ちた人ならば、線引きなんぞせずに助けてやるのかもしれないけれど、大抵はどこかで線を引いているのじゃないかしら。

 自分の非情さに他人様も巻き込んで言い訳めいたことを考える。

 わたしの場合、仕方がないとならないのは、ニンゲン。そりゃ、知っている人の飼い猫や飼い犬なら仕方がないとはならないにちがいないけれど。道やどこかに命尽きかけている生物がいたとて、見て見ぬフリをするだろうと思われる。蚊とかG(茶色のアレ)にいたっては命を奪いもする。

 本当はコレはいいけどアレはダメ、なんて類のはなしじゃないのにね。 

 命に重いも軽いもあってはいけないけれど。どの命も仕方ないと見過ごしてはいけないけれど。

「けれど」を使いたくなる、不条理。 

 

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千駄ヶ谷のとあるお店で。

スマートフォンを使おうとしたら

なぜかカメラが起動。

知らないうちに撮っている写真が

そこそこあるのは、わたしだけでしょうか?

西野 そら