西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

顔も知らないけれど。

 「その方とは、喧嘩をしたから今ではご挨拶もしませんのよ」

 こう言ったのは、同じマンションのHさん。八七歳のご近所さんである。

 絵が好きだというHさんは白髪のショートへア。八十代の女性にしては背が高く大柄であるが、ここ数年で少しばかり背中が丸くなった。物腰が柔らかく「山梨の美術館は素敵でしたよ」時折、美術館の情報まで教えてくれる上品なお人。

 わたしは Hさんの言う「その方」を知らないが「へぇ〜」とか「ほぉ〜」とか言いながら聞いている。で、聞きながら思っているのだ。

 人との関わりで生じる行きちがいは、幾つになってもなくならなさそうだ、と。

 ご近所同士であっても、かつては仲良く過ごした関係であっても、そして、他人たるもの自分とは違うと知っているはずの大人であっても、心地よい距離感を保つのは相当難しい。 

 いつの日かわたしも、

「西野さんとは喧嘩したから、今ではご挨拶もしませんのよ」

 こう言われる日かがくるやもしれず。いや、わたしが言ってたりして。

 まあ、そうなったらそうなったで仕方ないが、きっとわたしの場合は誰と気まずくなったとしても、気まずくなったことに気づかぬフリをして挨拶をしているのにちがいない。この手の気づかぬフリならいくらでもできる。喧嘩もしていないうちからこんなことを想像する自分にも呆れてしまうけど。

 兎にも角にも、目の前にいる人との関わりかたは難しい。

 

 一方で。

 目の前にいない人との関わりもある。ブログを通しての関わりがその一つ。

 この関わりかたはこれまでに経験していないものだから、未だよくわからない。よくわからないけれど、見知らぬ人、といっても少しは知っているような気にさせられるお人の言葉、写真、ピアノの音色に心揺さぶられ、そのうえどう揺さぶられたかを伝えたくなったりする。

 目の前にいたら言葉にせず、胸の内におさめているようなことでも、目の前にいないから、伝えたくなるのだろうか。互いの顔も知らないのに、ね。

 不思議な関わり。

 

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横浜。写真の左下あたりは、

雨が降っているように見えなくもないですよね。

西野 そら