西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

そろそろ、忘れてくれやしないかな。

 妹家族が引っ越す。この度の引っ越しは、リフォームのために半年間過ごした仮住まい(うちの近所)から、ピカピカに仕上がった自分たちの家へ戻るため。

 引っ越し前日、家の近くで妹と出くわした。

「もう、ぐったり。まだダンボール詰が終わってないの」

 疲れているように見えなくはないが、思い通りに生まれ変わった家でやっと落ち着いた暮らしに戻れる嬉しさは隠せない。されど終わらぬ荷造り。浮き立つ思いはわかる。

「引っ越し屋さん、朝の8時半に来るんだよぉ」

 そりゃ、大変だ。なんてたって引越し屋さんの手際の良さったらありゃしない。責任者にダンボールの説明をしているそばから、次次とダンボールをトラックに持ち運び、見る見るうちに部屋の空間が広がってゆくのだもの。

「ウンウン。ほんと、引っ越しは疲れるよね」 

 同情した途端。

「そうだ。あんた(妹はわたしのことをなぜがあんたと言う)引っ越しのとき、たいして動きもしないのに終わった途端、ああ、疲れた、とかなんとか言ってたよね。タオルを頭に乗せちゃって、ハッハハハハ」

 妹の言う引っ越しが、実家の引っ越しのことだったのか、わたしが結婚した折の新居への引っ越しだったか、妹も覚えてないらしいがともかく、どちらかの引っ越しでの話(これは実家での語り種になっている)を持ち出してきた。どちらにしても20代後半のことだ。    

 この引っ越しでわたしは、体ではなしに口ばかり動かしていたのらしい。疲れるほど体を動かしていないにもかかわらず、一区切りついたところで、首にかけていたタオルをたたんで頭に乗せ「ああ、疲れた」とやったと言うのだ。

 家族は呆気にとられ、そのうえわたしの姿があまりにも滑稽で笑いに笑ったのだとか。折に触れこの話がはじまる。当の本人は薄っすらと記憶にあるだけというのに。

 思い返せば、若いころは野放図であった。これこそが若さともいえるが、ときにはこの周りを見回す余裕のなさが、だれかを呆れさせるわけだ。

「タオルを乗せたあんたがね、人間変われば変わるわね」

 長女を産んでからだったか、母にこう言われたことがある。娘。妻。母。立つ場が変われば自ずと変わってゆくものらしい。

  

 妹家族がピカピカの家に戻り、一週間が過ぎた。改築祝いでみんなが集まる折には、きっとこの話がでるにちがいない。

 そろそろ、若気の至りということで忘れてくれやしないかな。

 

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 いつかの夕飯につくったスープです。

 西野 そら