西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

親しいともだちがいない!

 気になる植物というものは、そうとう移ろう。

 いつかの年はハナミズキばかりが目に止まり、いつかの年はシャクナゲに吸い寄せられた。紫陽花の年もあれば、彼岸花が気になって仕方がなかった年もある。

 そして今年はどうやら、ドクダミ

 5月になると、そこいら中に群生しているドクダミの、あの花の白さがスッと目の端に滑り込んでくるのだ。

 小さな白い花の親しみやすさはあるが、鼻を近づけると近寄りがたい香りを放っている。その香りは防壁のようでもある。近づき過ぎてはまずい、近づき過ぎてはまずい……。

 そういえば、他者との距離感もこれ然り。ふと、人との関わりに思いがゆく。

 

 情けないはなしであるが、わたしには一生の友なんぞ持てないだろうと考えてきた。学生時代、社会人の時代、母としての時代。それぞれに共に過ごした友人はいる。さらに毎年新しい出会いもあって、お昼を共にしたり、お酒を飲んだりする関係にはなる。

 されど、親しさという点ではどうだろう。友人はあるが親しい友人となると、いないのじゃないかしら。

 親しい友人がいないなんて、人としてなにかが欠けているのかもしれない。親しい友人をつくらなけりゃと、うろたえた時期があった。が、いまはちがう。親しさに重きを置かなくなった。

 

 そも、親しさってなんだろう。

 決して言いたいことをなんでもいうことが親しさではないし、少女時代のように年がら年中一緒にいることが親しさでもない。

 大人の友人関係たるもの、近づき過ぎるのはまずい。親しき中にも礼儀あり。きっとこれが肝要なのにちがいない。いつかはだれもが孤独であることを実感し、自らが放つ香りで他者との距離を保っていることに気がついてゆくのだ。

 友人には親しいという修飾語なんぞいらない。こう言ってしまったら、言い過ぎかなぁ。

  

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千葉県にある昭和の森公園。

夫が撮ってきた風景です。

西野 そら