西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

本当のこと

 13年前の話である。  

 娘が一緒に登校していたNちゃんのお母さんから電話があった。

「Nの口調がきつくて友だちと喧嘩になったり、泣かせたりするらしいの」

 担任から連絡がはいったとかで、普段の子どもの様態を知りたいということだった。

 当時娘たちは小学四年生。いまなら、子どもは変わってゆくから、しばらく様子をみててもいいんじゃない。これぐらいのことは言える。

 しかし初めての子どもであったから、時期をみて子どもに訊いてみる。そのときはこう応えるのが精一杯であった。

「お願いね。うちの子が悪くても本当のこと教えてね」

 電話を切った途端、そういえば正義感が強いNちゃんが彼女の正義からはみ出たことをした友だちに向かって、攻撃的に非難をしていた姿を思い出した。

 とはいえ、これはNちゃんのほんの一部分。小さな子、弱い者に心を向けられる優しい面も頑張り屋さんという面もある。

 そんなNちゃんのほんの一部分をつまびらかにしたところで、直ちになにかが変わるとは思えなかった。

 それに。逆の立場であったら、いくら事実であろうとも、娘のよからぬ一面を受け入れつつも、わたしは教えてくれた相手に感謝できるだろうか。胸の片隅でいらぬ評価をされたような心持ちになりはしないだろうか。

 で、高校時代の友人の教えを思い出した。  

「よその子どものことはたとえ事実だとしても悪く言っちゃいけない。親が本当のことが知りたいといっても、言ったが最後、気まずさだけが残るからね」

 友人は若くして結婚し、当時はすでに高校生と小学生の子どものお母さん。これは経験からの言葉であったと思われる。

 結局わたしは、Nちゃんのお母さんになにも言わなかったし、その後、彼女からも電話はなかった。

 

 自分の子だろうが、よその子だろうが、目の前で悪いことをすれば、もちろん注意はするし、後日、事情を話し注意したことをその子の親に伝えもする。

 こういうことは友人もするだろう。

 きっと、友人の教えはよその子限定という話でもないのだ。何かにたいして、安易に良いことでも悪いことでも評価めいたことは言うな、ということじゃなかろうか。

 法律に触れること以外の「いいとか悪い」なんぞは、どこまでも自分の中でのこと。他者に本当のこと(自分の感じる善し悪し、つまり評価のようなもの)を言うのは難しい。本当のこととは「わたしの中」の本当のことであって、わたし以外のひとには「本当のこと」でないのかもしれないから。

 まあ、いいことは伝えた方が良い場合が少なくはないけれど。 

 

 うちのマンションの花壇いっぱいに咲くどくだみをみて、ふと、評価についていつか考えたことを思い出しました。

 

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どくだみは強烈なニオイと強い繁殖力で

嫌われ者の雑草らしいですが、

結構優れものの雑草なのですよね。

西野 そら