西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

自分の食い扶持ぐらい……

 図書館でアルバイトをはじめてから、ひと月が過ぎた。

 働きに出るのは実に26年ぶりである。

 

 話はちょうど1年前に遡る。

 40代で起業した友人と会った折。穏やかというよりは生き生きとしている友人の仕事の話を聞いているうちに、起業をした理由を訊きたくなった。

「子どもと夕飯を食べたいから」

 これが一番の理由。それまで大企業で働いていた友人は帰宅時間が遅く、ふたりの小学生の子どもたちや夫との夕食もままならなかったのらしい。

「仕事を手放すという選択肢はなかったの?」

子どもと夕飯を食べたいのなら、仕事を辞めるという手もある。

「自分の食い扶持ぐらいは自分でまかないたいから」

 と言う友人は、少しばかりはにかんでいた。

 なるほど、そういう考え方もある。当時はそんな程度に聞いていたが「自分の食い扶持くらい」という言葉は、その後何かにつけてよみがえった。

 いま思えば、家のこと担当の身であるわたしに「外で働く」という道への橋が架けられたときであったかもしれない。

 

 友人と話してから2ヶ月後、ちょうど長女の就職が決まった昨年の夏のことだ。

 ふと、「次の春からは、朝、みんな(夫と子どもたち)を送り出したら夜までひとりなんだわ」と気がついた。そして「とうとう、あの子(長女)は自分の食い扶持を稼いでくるようになるのね」としみじみする。

 となると、高校生(次女)だって、その日が来るのはそう遠くない。で、ギョッとしたのだ。わたしは自分の食い扶持さえまかなわず、このまま日々を過ごしてゆくのか、と。

 そうはいっても四半世紀以上前に、みずから家担当を選んだのだ。はたらきに出たとて本分は家のしごとであることはかわらない。

 食い扶持を稼ぐことを考えたとき、なにがしたいか、できるのか。自分でも見当がつかないし、50歳を過ぎた年齢も枷(かせ)のように思えた。時間に追われることへの尻込みもある。

 こんな具合に架けられた橋の前を行ったり来たりしている感じであった。

 ところが。

 今年にはいって年上の友人と食事をしたときのこと。

 当日、待ち合わせの店で久しぶりに会う友人の姿をみて驚いた。若い。元気。そのうえ、60うん歳の友人が長年続けているパートタイマーのはなしをするときの物柔らかな口調と物柔らかではあるけれど秘められた自信。続けることの強みに感じ入った。

 周りを見渡せば、還暦を過ぎて働いている人なんぞ、いくらでもいる。

 10年先の自分を想像してみた。63歳。なんだ、ちっとも遅くない。10年何かを続けたとすると……。ワクワクするわたしがいた。

 そんなこんなで3月末、橋を渡りました。 

 

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ランニングコースの道端に咲いていた

パンジーです。「 空抜けにこだわった」

カメラマン(夫)談。

西野 そら