西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

小野さんに会いたい

 「ああ、小野さんに会いたい」

 洗い物をしながら、ひとりごちる。

「そういえば、姿勢よくなったよね」

 思いがけず、後ろから夫の声。

 小野さんは、昨年末から通いはじめたスポーツ整体院の整体師。はじまりは足の痛みの相談であったが、通いはじめて半年になるいまは、身体全体のメンテナンスが目的で通っている。

 

 考えてみると呼吸、歩き方、立ち方を教わったことなどない。

 歩き方なんぞはハイハイをしていた赤ん坊が、ある日つかまり立ち、ヨロヨロとつかまり歩きをはじめたころ、大人に両手を持たれ「いち、にい。いち、にい」と歩くことを促されはしても、いちいち正しい歩き方まで教わらない。

 それぞれが自己流に呼吸をし、立ち、歩く。そして、それぞれに不都合が生じるたびに改善してゆくというわけだ。

 そも、歩き方や立ち方、呼吸の仕方に正しいとされるものがあることを知ったのは大人になってからのこと。その正しさとて、たとえば歩き方なら踵から先に着けるのが正しいとか、足裏を同時に着くのが正しいとか、説は多々あり、本当のところはわからない。呼吸の仕方、立ち方も然り。

 それでも。わたしの立ち方は腹が出た不恰好なものであったのには間違いなく、夫はわたしが立っている横に来ては<おなか>と注意したり、指先で突いたりするのだった。

 けっして、わたしが立ち方に無頓着だったのではありません。わたしだって不恰好な立ち方はしたくない。実を言えば、いつだって姿勢良く立っているつもりだった。ではなぜに?もんだいは、自らの姿を見られないということ。立つなんてことは感覚だもの。

 どうやらわたしは姿勢をよくしようとすればするほど、相当に間違えた箇所に力をいれていたということがわかった(つまりは間違った感覚)。

 小野さんの手技で筋肉をあるべき位置で正しく使えるようになってからは、無理に力をいれずとも姿勢よくいられる。とはいえ筋肉の正しい使い方の感覚が身につくところまでにはいっておらず、感覚がにぶってくると小野さんが恋しい。

 そんなわけで冒頭の独り言。

 

 自分の身体なのに、ね。

 身体的な感覚だけに限らず、教わらないことはたんとある。たとえば心得というのかたしなみというのか、そんな類のものだ。こういうのはいろいろな場面で自らが学び取ることが少なくないのだけれど、それだからなおさら、新しい事ごとがはじまるときや、新しいひととの出会いがあるとき、自分を良く見せようとしていないか。自らの振る舞いを「これでいいのか」だれかに正解を訊きたくなる。

 「正解なんぞないよ」きっと誰もがこう答えるだろうけれど。

 

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昨年末に足が痛くなってからは

スニーカーの出番が多いです。

西野 そら