西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

まわる、回る。

 昨年末のこと。

 前夜、布団に潜り込んだときにはそれらしい気配はなかった。それらしいとは、頭痛があるとか、いつもより強い疲労感があるとかの、わずかな体調の変化のことだ。

 明け方ごろ、寝返りを打ったのだろう。突然ぐるぐるを遠い意識で感じる。

 めまい?

 眠りの世界に留まりたいわたしは、動かなければ大丈夫。ぼんやりと自らに言い付けて深い眠りに戻るためにじっとして、ぐるぐるが治るのを待つ。

 ああ、大丈夫。勘違い。眠りの世界に片足を突っ込んだまま、ぼんやりと安心して眠りの世界に戻った。

 ところが。眠ってしまうと無意識に寝返ってしまい、またぐるぐるがはじまった。このぐるぐるは目を閉じていられないほどに強烈。横になっているというのに、体が回っているような錯覚に陥る。自分の体がどういう状態なのかわからず、ただただ怖い。

 結局、朝一番でかかりつけの耳鼻科へ行き、めまい止めの点滴を受けてようやくぐるぐるは治っていった。

 医師によると、ストレス、疲労、睡眠不足。ということであるけれど、思い当たることがない。ストレスなんぞ、生きてりゃ感じるもの。こう考ると思い当たることばかりだし。頭のはしのほうでは更年期なんちゃらというあの言葉も浮かびつつ、3週間処方された薬をのんだ。そうしてめまいはなくなっていった。

 

 でもしかし。

 めまいが起こる以前から、老化してゆく現象を感じていないわけではなかった。感じていないわけではないが、一方で、わたしの周りの60代、70代の友人、先輩は現役で活躍し、暮らしも楽しんでいる姿を見ているものだから、50代の始まりなんぞに「老」という文字はふさわしくなかろうとも思ったりもする。

「たかが50代、されど50代」というところで揺れに揺れていたのである。

 

 そんななか、3月にまた、めまいが起こった。さらに突発性の低音難聴にもなっていた。やはり、寄る年波には勝てないのか。

 千々に乱れていたところ、少しばかり年上の友人が、明るくこう言い放った。

「50を過ぎたころは、わたしもそうだったわよ。わたしはめまい。しょっちゅう回ってたよ」

「やっぱり、カラダの変わりどきってことですかねぇ」

「そうよ。でもこの変化はまだ若いって証拠。この時期が終われば、どんどん元気になるから、大丈夫よぉ」

 

 あぁ、わたしもいつの日か若い友人にこういうことを伝えられるような、そんな歳の重ねかたをしてゆきたい。

 

f:id:sosososora:20170418134315j:plain

先週撮った空と桜です。

カメラのどこを触ったのかわかりませんが、

写真が絵のようになっていました。

今のカメラには面白い機能がついていますね。

西野 そら