西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

 四月一日 (しがついっぴ)

 午前五時五五分。目覚まし時計がなる。

 朝にはめっぽう弱く、毎朝、目覚ましのアラームの世話になる。しかもアラーム音と共に起き上がるという潔さもありゃせず、いち度目は眠さと闘う五分間のためのアラームである。

 午前六時、二度目のアラームで観念し、起き上がる。居間のカーテンを開けて洗面所へ。すでに長女が眠気まなこで洗面台の前に立っていた。

「おはよう」

「おはよう」

 新入社員研修、第一日目の朝である。

 前日の入社式は九時半の集合であったが、研修は通常の出社時間と変わらない八時二0分出社だという。前夜、長女に家を出る時間を訊いたものの、念のためもう一度、洗面所で時間をたしかめ、それぞれ支度にとりかかる。

 午前六時半。

 長女ひとり、朝ごはん。

 味噌汁、ご飯、鯵の干物、納豆、生野菜。シメは熱い緑茶。  

 午前七時すぎ、予定どおり家を出る。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 頑張ってね、は声に出さず見送る。

 

 ここ数年出かけてゆく時間は長女が一番遅く、たいていは昼過ぎ。だというのにこれからは最初に家を出る。それだけでも感慨深いのは、親にバカのつく、あれであろうか。 

 それはさておき。やっと、いや、とうとうか。そのどちらでもあるような気もするが、ともかく子どもがひとり社会人になり、少しばかり肩の荷が下りたような心持ちであり、開放感の喜びがないわけでもなかった。

 しかし、ハタと気づく。社会人になったとて、朝ごはんを食べぬわけにはゆかず。むしろ、夫の帰宅時間は早まることなく、最初に出かける長女の朝ごはんの時間がそうとう早まってしまったのだ。

 肩の荷を下ろしている場合ではなかった。ああ、しばらくは気の張る朝がつづくってことじゃないかぁああ。 

    

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およそ三十年前、わたしが買ったコート。

今は長女が着ています。

西野 そら