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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

ウソからはじまった、日曜日

 次女(高校一年)の学年通信を読んで吹き出した。

「勉強している人はしてないと言い、してない人はしてると言う、あるある」

 この学年通信は生徒による生徒のための便りである。わたしが読んだ学年通信は、定期試験の時期に時間を取られる部活動や委員会活動と、勉強とを両立させるべく試験対策としての「あるある特集」。

 友人の言葉には惑わされるな。同級生が警告しているのだ。妙に実感のこもった標語で笑える。しかも「わかるぅ」と少なからずの生徒、保護者、先生が共感する「あるある」であるにちがいあるまい。

 

 「ウソはいけない」幼い頃から両親に教えられ、学校でも社会でも折に触れ、こう言われる。しかし、ウソが方便であることもわたしたちは同時に学んでゆく。いや、学びだけではないな。本能がウソを手放さないのだ。それだから親になるや「ウソはいけない」と子どもに教える一方で、幼子のかわいいウソに気づかぬふりをし、成長と共にこのウソはあり、そのウソはダメ。ウソの良し悪しを教える。やがて子どももわたしのウソを見抜くようになる。こうしてわたしたちは他者や自らを欺くことを認めつつ、でも、やはりウソはよからぬものと、自らを戒めてもいる。

 ならば、はじめからウソを悪者にしなければ、ウソをついたときのあのバツの悪さを感じたり、自責の念にかられたりせずにいられるのじゃなかろうか。

 どんなウソをつき、どんなウソはつかないか。どんなウソは許し、どんなウソは許さないか。それを決めるのは個人。まさにそれが人となり。

  

 日曜日の朝のこと。

 布団の横に置いたスマートフォンがなり出した。画面にはわたしの姉の名前。時間は八時を過ぎたところ。

「おはよう」

「おはよう」

「寝てた?」

「ううん、起きてたよ」

 ウソからはじまった、日曜の朝。

 

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うちのマンションの花壇に、

彩りの可愛らしい一角がありました。

キンセンカ?とパンジー?

花をみてすぐに名前を言い当てられ人に

あこがあれます。

西野 そら