西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

広げたり、狭くなったり。

 「『この世界の片隅に』観ましたか。私は3回観ました」

 と、友人からメールが届く。1月の終わりのことだ。

 映画には疎いけれど、これは知っていた。戦時中を描いたこのアニーメーション映画は、昨年末から幾度もテレビや雑誌で紹介されていたから。

 メールには映画以外のことも書いてあったが、要点は映画について語り合いたから、是非とも観るようにということであった。

 

 昨年までのわたしなら、友人からの薦めであってもタイミングが合えば観ます、とかなんとか言ってお茶を濁したのにちがいない。

 ところが。今年のわたしはちがう。

 1月の初めに「広げる」を今年の目当てとしようと、ふと、思い立った。この「広げる」というのは、食わず嫌いをしない。決め込まない。知ろうする。というようなことである。

 流行や風潮、人気といったものにはらむ一時(いっとき)の勢いを感じるようなとき、瞬間的に身構え、胸のあたりがくっと固くなる。この固さは勢いに流されないための、もっといえば、考えなしに物ごとに同調しないための備えであろうか。それだから、流行や人気のあるような物ごとを、できるだけ遠巻きに見てきたのだ。

 それだというのに昨年末あたりから、遠巻きに見るというのは、知ろうとしない自分をごまかすための、体のよい言い訳ではなかったか。こんなふうに思えてきたのだった。

 そんなわけで今年は、つとめて「広げる」。

 

 友人からのメールが届いてから、ちょうど一週間後。わたしは映画館の観客となり、思いがけず、心打たれていた。

 帰宅後、友人に書いた返事はこんな具合。

 「アニメーションだというに、これまで見た戦争の映像のどれよりも戦争の恐ろしさを感じている自分に驚きました。それだけでなく、非日常の恐怖のなかに身をおいても、暮らしてゆくこと。日常はつづくことに胸を突かれたのです。

 それは地震や外国で起きたテロの後、難を逃れた人たち、傷ついたひとたち、その周りの人たちが、生きるために暮らしに戻る努力をしていることと繋がり「日々の暮らし」の強みに感じ入りました」

 

 「広げる」ということは心を柔らかくするもいえる。柔らかな心はきっと風通しがよかろう。ああ、柔らかな心でいたい。ときに固く狭くなろうとも、それはそれでよしとして。

 

 

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外出時、わたしの本は着飾ります。

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西野 そら