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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

105

  ブログをはじめて、まもなく2年が経とうとしている。週にいち度の更新とはいえ、数にすると今回で105回。多いとか少ないとかでなしに、よくぞ続けたねぇと思うのだ。

 で、104つのなかのいくつかを読み返した。

 

 感じかたや考えかたが変化したものもあるし、変わっていないものもある。

 昨年のこの時期にかいた記事は変化したものの一つ。

 

sosososora.hatenablog.com

 当時のわたしは、みずからの心の持ちようと、人様の目に映るわたしとのギャップにハッとしている。

「そういえば、そうだったなぁ」

 すでに懐かしい。たった1年とはいえ、今のわたしにこうは書けない。昨年は体調の変化を実感してきた1年であり、体調の変化とともに年齢を意識せずにはいられなかったからだ。

 昨年末、小さなライブハウスで友人Oさん(20代後半)のダンスライブがあった。共にでかけた友人たちはわたしと同年代、少し先輩、だいぶ先輩といったメンバー。といっても、ほとんど現役で、それぞれの場で活躍されている方たちばかり。おしゃれにだって手を抜いてなどいない。

 舞台で踊るOさんは若々しくもあり、妖艶さも垣間見られ、とにかくキラキラしていた。そんな友人が誇らしくもあるわたしたち年配者は一様に浮かれ、若い友人を囲んで記念撮影と相成った。 

 後日、メールで送られてきた写真をみて、ギョッとした。

 写真を撮ったあの日はみんな浮かれていたせいか、Oさん以上に周りのわたしたちが笑顔である。だというのに、キラキラ感はどこにもない。軽く笑むOさんをわたしたち年配者の笑顔がさらに引き立てている。

1年の月日は、わたしをハッとさせず、ギョッとさせるのだった。

 

 2015年5月の記事。この記事はさほど変わらない考えのひとつである。

sosososora.hatenablog.com

                                             

 程度の差こそあれ、年を重ねたとて「他人」との関わりによる気持ちの浮き沈みはある。他者と共に暮らしてゆくのだから、そこからは逃れられない。

 上の記事に書いたように、わたしはこれまで好き嫌いの両極の、どちらかに触れたままのひとはいない。どんなに憧れたひとであっても、顔を合わせる回数に比例して、アレっと感じることの1つや2つはあって、針は中央へと動いてゆく。その逆もまた、然りである。

 勝手に好きに針を振っておいてがっかりしたり、勝手に嫌いに針を振っておいて見直したりするのも失礼なはなしではある。でもきっと、そういう発見を繰り返すなかで、好き嫌いの感情が薄れ、好き嫌いの前置きなしに、他者は存在してゆくのじゃなからろうか。

 

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いつかの空 

西野 そら