西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

芳しき香り

 「紅茶飲むひとォ」

 家にいるものに、こう訊くのは大学四年の長女だ。このところ次女も紅茶を淹れるひとになりつつあるが、いまのところは、長女が紅茶係。

 両親の家に行った折(長女がコーヒーを飲めない年齢、小学高学年か中学生になりたてのころだったと思う)、母が淹れた北欧紅茶のセーデルブレンドをたいそう気に入り、長女は紅茶党になった。

 当時一緒に飲んだにちがいないのに、わたしときたらさっぱり覚えていない。美味しさに感激した記憶もない。香りの好き嫌いはあるだろうけれど、じつのところ、わたしは紅茶の味の違いさえ、はっきりとはわからない。長女が母の紅茶好きを引き継いだのはよかった。いまでもときおり紅茶の情報交換をしている二人の姿をみるのは、悪くない。

マリアージュフレール(紅茶専門店)のマルコポーロ(茶葉)。これ、おいしいよ」

 数年前、長女が少し値がはる茶葉を買って、帰ってきた。香りに特徴のある茶葉らしいが、紅茶係は味も讃えている。

 湯を沸かす。ティーポットに人数分よりひと匙多い茶葉を入れる。湯を注ぎ適当な時間蒸らす。濾し器を通してカップに注ぐ。たしかに丁寧に淹れられた紅茶はおいしい。

 

 「コーヒー飲む?」

 わたしに、こう訊くのは夫。コーヒー係は夫だ。「コーヒー飲む?」は朝ごはんを食べたあとの決まり文句である。

 娘たちはコーヒーを飲まないから、わたしの返答しだいでその日の豆を挽く量が一人分か二人分に決まる。決まるとガリガリと豆を挽きはじめる。うちのコーヒーミルは手動。二人分の豆を挽くのには少しばかり時間がかかる。ガリガリ、ガリガリ。豆が削られる音が広がるなか、わたしは夫がその日に着てゆくワイシャツと持ってゆくハンカチにアイロンをかけるのが常である。朝の食卓に漂うコーヒーの芳しさは、インスタントコーヒーの香とは、またちがう。夫の淹れるコーヒーは美味しいときと、それほどでもないときがあるけれど、香りは抜群。

  

 ならば、わたし一人のときはどうしてるのかって?紅茶はティーバック、コーヒはインスタントでございます。さすがに緑茶は急須に茶葉をいれて飲むが、自分だけのために豆を挽いたり、大きなティーポットで茶葉を蒸らしたり、なんぞはしない。

 そりゃあ、夫や娘たちのように自らを労わり褒美のようにゆっくりとお茶を飲めるような人間になりたい。が、淹れっ放しというわけにはゆかないのだ。香りに満たされたあとの始末がある。ひとりでいるときぐらい、できるだけ面倒を避けたい(お茶を淹れた後始末のことを面倒と思うかね、という声がどこからともなく聞こえてくるような気がしますが)。とにもかくにも、今はこれ。 

 娘も夫も気づいてはいまい。あなたたちが丁寧にお茶やコーヒーを淹れたあと、ティーポットに残った茶葉、フィルターに残ったコーヒー豆を誰かが片付けていることを。

 紅茶係、コーヒー係あらため、紅茶淹れ係とコーヒー淹れ係と呼びたい。

 

f:id:sosososora:20170110155827j:plain

f:id:sosososora:20170110155833j:plain

購入した時期は異なるそうですが、

長女好みの紅茶「マリアージュフレール

マルコポーロ(上)とマカロン(下)」です。

購入したときに撮った写真だそうです。

西野 そら