西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

性質ですから。

 11月のある日。

 エレベーターで1階に降りると、子ども数人が建物の前にいた。同じマンションの住人である小学3年生と2年生、それと近所の子。いつもつるんでいる顔なじみの男の子たちである。

 彼らは大抵ケラケラしながら、ボールを追いかけまわしているか、ケラケラしながらだれかを追いかけまわしている。が、このときは小学2年生のひとりがマンションの塀の上から、庇(ひさし)へよじ登ろうとしているところであった。

 アブナイ。反射的に思うが、まずは黙ってなにげなく様子をみる。なんだか動きが鈍い。立ち往生しているように見えなくもない。ほかの3人は、ただただ塀の上の友人を見守っている。

「降りられる?」

 静かな声で、塀の上の彼に訊く。彼は無言で頷いた。よかった、危機的状況ではないらしい。されど、このまま立ち去ることはできない。とはいえ、仁王立ちしてその場で見守れば、小学2年生に要らぬプレッシャーをかけぬとも限らず。

「大丈夫なのね。慎重にね。気をつけてよ」 

 こう言いつつ、わたしは上にいる彼だけでなしに下で見守る子らの顔も見る。そして歩きはじめた。少し離れたところでことの顛末を見届けようと思ったのだ。結局、彼は上への移動をあきらめて、塀から飛び降りた。そして飛び降りた途端、友だちとケラケラ笑った。

 ねえ、きみたち。大人というのは、さして知らぬ近所おばさんといえども、きみたち子どものことを気にかけているものなのだよ。

 12月のある日。

 電車内のドアの横にわたしは立っている。

 ある駅で反対のドアが開き、ドッとひとが乗り込んできた。母娘と思われるふたりがわたしのまえ、つまりドアの中央に立った。お見受けしたところ母親は70代の後半か80代、娘は50代ぐらいであろうか。ドアに寄りかかる母親は心なしかフラフラしていているように見える。

「場所、変わりましょうか」

 手摺に寄りかかる方が安定して立っていられるだろうと、咄嗟に言葉がでたのだ。

「いえ、次で降りますから」

 応えたのは娘さんである。

「だいぶ揺れますけど」

「大丈夫です」

 この線は一駅の区間がわりあい長い。そのうえ相当に揺れる。娘さんは隣駅に到着するまでのあいだ、揺れる母親をしっかりと掴んでいた。

「ありがとうございました」

 降りぎわ、娘さんは笑顔で礼の言葉をくれた。

「お役に立ちませんで」

 

 困っていそうな人を前にすると、つい、声をかけてしまう。それは助けたいとか役立ちたいという類とはちがう。性質だと思われる。世でいうところの「おせっかい」だ。

 

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12月、最初の週末の空。

久しぶりに夫とラン二ング……、

ではなく、ウォーキングしました。

夫は走りたくてウズウズしていましたが。

西野 そら