西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

さあ、どっち?

 「聞きたくないことには、聞こえないふりをする」

 こういう風景を目の当たりにしたり、自分がされたりすると、そうとう衝撃を受ける。

 先日のこと。七、八人でお昼を共にしていた。それぞれ近くに座った者どうし、話しをしながら食べている。

「このごろ思うのだけれど……」

 普段から話に冗長のきらいがあるKさんが、こう切り出した。仲間全員Kさんに視線をむけたものの、すぐに、スマートフォンをさわりだしたYさん。だれかに「はじまった」という合図をしたのか。Kさんに向かってわたしは聞いていませんという表明か。単にタイミングでそう見えたのか。真意はわからない。とはいえ、その姿はわたしが抱く穏和なYさんの印象を一変させるのに十分であった。

 たとえ、「聞かない態度を示す」ことや「聞こえぬふり」が無駄な会話を避けるためのうまいやりかただとしても、そういうことを顔色も変えずにできるひとに、わたしはたじろぐ。そりゃあ、「話したいひと」というのはあって、そういうひとは得てして、聞く側のことなんぞに心を寄せることもなさそうではある。しかしだからといて……。

 ただ一方で、聞こえぬふり、見ぬふり、知らぬふりができるひとの話は、大抵おもしろい。そしてそういうひとは、大抵逞しくもある。慈愛だとか心を寄せるだとか聞こえのよいことばをつかったり、自分の思いを「ズバリ」言い退けたり。手短であるうえ、聞き手の関心を掴む面白さはある。

 ただし、ズバリ吐いたことばのゆく末に心寄せているのかしら。こんな疑問が沸かないわけではない。

 一度放たれたことばは受け手に委ねられる。それだから、わたしなんぞは、いつまでたってもいい淀み、口ごもってしまう。しかし話が上手い下手にかかわらず、無自覚に誰かを不快にさせることがあることを、知っておきたい。

 人の振り見て我が振り直せ。わたしが子どものころ、母はよくこう言っていた。いまはわたしが娘たちに言う側になっている。娘たちが無駄な会話を避けるためにスマートフォンを使い出すあの姿をみていたら、一体どちらにとるのだろう。

 いくら聞きたくないとはいえ、スマートフォンを持ち出すのは失礼極まりない。それとも、その手があったか!!

 

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12月3日。

出先で月と金星が並んでいるのに気がつきました。

夜空好きの娘に教えるために家に電話をかけると、

娘もちょうど写真を撮っていたところでした。

その写真です。

西野 そら