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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

12月の買い物

 早、11月も半ば。見上げれば空は高くなったような気がするものの、振り返れば、秋らしい空気が澄んだ日はあまりなかった。半袖でもおかしくないほど気温が上がったり、ニットを着込まないといられないほどに下がったり。この時期にふさわしい衣服の正解が分からぬまま、不意に寒さが訪れ、気がつけば11月半ばなのであった。

 そろそろ肌着を買いにゆく時期がくる。

 数日前。些かくたびれてきた家族の肌着を畳みながら、わたしはクリスマスのイルミネーションにきらめく街並を思い浮かべていた。家族全員の肌着は12月にする買い物のひとつである。新年とともに新しい肌着をおろすと決めているのだ。

 季節の巡りを知るのはカレンダーや天候だけでない。折々で身につけた季節の支度や決め事でもそれを知ることはできる。

 

 肌着やタオル、シーツのような、他人の目に晒されぬものたちの捨て時がひととずれているようなのだ。そも、わたしはケチな質である。

 タオルとて長年つかえば黄ばんでくる。漂白はするものの少しづつ、くすんでゆく。しかし洗濯に漂白までしているのだから、衛生面では問題ない。タオルの役目は十分果たせる。たしかにくたびれてはいるけれど、捨てるほどではないようにわたしには見える。で、結局捨てられない。

「そろそろ新しいタオルおろさない?」

 ヨレヨレを見かねた夫や娘たちが教えてくれることもある。教えるというより、あれは要望か。こうしてお役御免となったヨレヨレタオルさえ、そのままゴミ箱行きにはしない。雑巾として使いみちはある。ほんとにわたしはしみったれなのだ。

 こんな具合だから、若かりしころ(といっても30代)のわたしは肌着、ことにブラジャーなんぞの捨てどきがさっぱりわからなかった。で、遊びにきていた妹に捨てどきを訊こうと、箪笥から取ってきてそれを差し出した。妹は見るや、

「今。いまが捨てどき」

 以来、12月は「肌着を買い替える月」と相成った。

 

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今日宅配で届いた野菜。

ちょうど1年前も、届いた野菜を

載せていました。

秋野菜が美味しいからでしょうか。

西野 そら