西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

ディーラーの営業マン、T氏

 車を買い換えた。

 車の引き渡し時。夫は運転席、営業マンのTさんが助手席、わたしは後部座席へと乗り込んで、操作スイッチ類の説明を受けている。パワーウインドウの昇降スイッチを確認するために、ちょうど窓を開けたときだった。

 運転席の窓から体長2センチほどのクロアリと思われる虫が飛び込んできた。クロ(以後この虫をこう呼ぶ)はフロントガラスに体当たりしては、上下左右に飛びまわる。熱心に説明していたTさんと静かに聞いていた夫は、突然の侵入者に不意をつかれ一瞬動きが止まった。が、そくざにふたりの手はパタパタと動いた。

 追い払われまいとするクロ。フロントガラス周りをさらに2周してから夫の前のダッシュボードに、ついと止まった。静かに手を伸ばしクロに狙いを定める夫。掌をブーンと振ったものの、クロは助手席側に一っ飛び。

 ここでTさん。手よりも効果のありそうな書類で外に出そうとするが、空振りに次ぐ空振り。

「でませんねぇ」

 Tさんは申し訳なさそうに呟いて、車の説明を再開した。その途端、またもやクロが飛んだ。再び説明は止まり、ふたりの男の眼差しがクロへ向かった。

 ほんの数分のあいだに、追い出し失敗。説明再開。クロ飛び回る。という一巡を3度繰り返したものだから、車の説明は完全に中断され、男性陣はクロの動きを注視するのであった。4度目がはじまったときはさすがに、

「連れてかえりますから、気にするのやめましょう」

 後部座席から提案したが、

「だめだよ。運転してるときに飛んできたら危ないよ」

 夫はうけいれない。

 

 この状況に業を煮やしたのか、飛び回るクロに

「こいつ、バカですねぇ〜」

 茶化しながらTさんがせせら笑った。

 ほお、そうきましたか。これまで、虫に手こずることはあっても、素早く追い出せないことを、虫がバカだからと考えたことがなかった。

 はじめて虫をバカ呼ばわりするひとを目の前にし、可笑しくなってきた。虫にたいして、こいつバカですねぇ、だなんて……。あまりにもおかしくて吹き出した。見れば夫も笑っている。

  

 しかし、車内の如何ともしがたい状況を、Tさんは虫をバカ呼ばわりにして笑いを誘い、場を和ませたのだ。もしや、あれは手だったのかもしれない。 

 車内がいろんな意味を持つ笑いにつつまれたそのとき、クロはさそわれるように外に向かって飛んでいったのだった。

 

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こちらのクロは7月に撮ったアゲハ蝶。

西野 そら