西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

カボチャ

 テレビでは、ゾンビ、ポケモンスーパーマリオ、アリス、スーパーマンらが列をなしてはしゃいでいる。今年も渋谷はえらいことになっていた。

 うちの近所では、傷だらけの看護婦や悪魔、いま話題のピコ太郎なんぞの姿も現れなかったけれど、仮に遭遇したとしても驚かない程度に見慣れてきた、10月の光景。

 辞書をあたらなければ知らなかった本来の宗教的な意味合い(万聖説11月1日に聖人や殉職者の霊を祭る前夜祭《10月31日の夜》)や、子どもが悪魔などに扮装して近所を周り、'Trick   or treat' 'I'm  scared’と言葉を交わしてお菓子をもらう風習。そういったものとは別の、楽しむハロウィンは仮装の日と呈している。まあ、クリスマスがキリスト誕生を祝う日というよりも、サンタからプレゼントをもらう日、あるいは仲間内で楽しむ日と位置付けられているのと同じなのだな、きっと。

 

 仮装といえば、娘たちが通った幼稚園の夏季保育を思い出す。    

 夏休み最後の週の夏季保育は夏休み明けの登園につながるよう、お楽しみの4日間が用意されている。

 なかでも登園最後の日のキャンプファイヤーは、子ども、先生、保護者の全員が仮装をして集まるのだ。

 長女は3年間でピーターパン、トンボ、シンデレラ。次女は旅行の日程で2年だけの参加であったが、「魔女の宅急便」の猫のジジ、インディアンに仮装した。

 ことに長女のトンボは我ながら傑作だった。厚紙とセロファン製の羽はランドセルを背負う要領で。大きな目玉は水泳帽に貼り付けた。歩くたびに羽が揺れて、いまにも飛び出さんばかり。長女はたしかにトンボだった。ピータパンもインディアンもジジも家にあるものでこさえたけれど、十分に扮していた。

 本や映画のキャラクター、動物や虫の姿に変身した娘たちは、その姿を鏡に映してはたいそう喜ぶ。夫もわたしも娘たちの喜ぶ顔見たさに家にあるものを駆使して、仕立てたのだった。

 

 「カボチャになろうかな」

 10月に入るや高校生が呟いた。幼稚園以来の仮装をするのらしい。

「ふーん、カボチャねぇ。いいじゃない。ママがダンボールでつくってさしあげましょうか」

「あのね、いまは、そういうのじゃないから」

 どうやらいまは仮装でなしにコスプレというのらしく、衣装一式が安価で売られているというのだ。 

 結局、カボチャの案はなくなり、映画『スーサイドスクワット』のハーレクインとやらになっていた。娘が買ったのは右半分が赤、左半分が青の短パンと網タイツ。こんなのは、さすがにうちにはない。

 わたしにはよくわからない仮装だったが、わかるひとにはわかる仮装らしい。

 

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カボチャとオバケのクッキー。

このほかに、カボチャのチーズケーキと 

さつまいものチーズケーキを娘と一緒につくりました。

西野  そら