西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

甦えらせる

 両親の家に行くと、ときおり母はミシンの置いてある部屋にわたしを呼ぶ。

 「縫い直したんだけど、おかしくないかしらね?」

 こう言って見せてくれるのは、数十年前に母が着ていた、見覚えのあるブラウス、ジャケット、ワンピースたち。

 容貌も体型も変化した八二歳の母。タンスの肥やしとなっていた死蔵の衣服を現在の好みに、自ら仕立て直し甦えらせているのだ。

 しかも昔の服ばかりを仕立て直しているのではない。数年前にもとめたものでも、たとえば襟がもう少し開いていたらスマートに見えるのに。袖が七分なら着やすいのに。というような、些細な不満を、より好みのデザインへ、より着心地の良さへと近づけるべく、切ったり、縫ったりしている。

 つい先日は、二十数年前の母の誕生日に、わたしがプレゼントしたという黄色い花柄のブラウスの直しに取りかるところだった。「このブラウス、色と柄は好きなのよ。でもお母さん、丸襟が似合わないでしょう」

 母は出番のなかったブラウスとわたしに弁明する。

「あんたがくれたんだから、何年かに一度は、袖を通してみるんだけどね」

 ブラウスを着て鏡の前に立つものの、結局は脱いで抽斗ゆきとなったようである。

 数年前、何としてもこのブラウスを着ようと、丸襟を切り取ってスタンドカラーにすることを試みたらしい。が、思い通りにゆかずそのままの状態で放置。ようやく数日前、裾を切り、切り取った布を使ってボウタイブラウスにしようと思いついたのだとか。

 甦えった服を見るたびに、わが母ながら感心する。こんなに裁縫好きだったっけ?

「自己流だけど、失敗しても時間はいくらでもあるんだから、ほどいたり縫ったりするのよ。そうしていくうちに方法が見つかって上達してゆくの。ダメだったら、捨ててもいいんだから」

 これは裁縫に限らず、すべてのことに当てはまる母の持論。母の持論というより、昔のひとはこういうふうであったのかもしれない。

 失敗から学ぶ。ひとつのやり方に止まらない。過程のなかから面白みをみつけ、工夫することを知り、あれこれ試みた末、自分に合ったやり方を身につけてゆく。その結果、幾つかの方法も心得ることになる。失敗も工夫も試みのどれもを経験し、その経験は強みとなる。それだからちょっとやそっとのことでは動じなくなるのかもしれない。言ってしまえば、唯一無二の正解などないということだ。

 このところのわたしときたら、わからないこと知りたいことにぶつかると、とにもかくにもインターネット頼みであった。インスタントに得た情報はあくまでもひとつの答え。大切なのはそれをきっかけとして広げてゆく事ごと。

  

 このところ、やたらとボウタイブラウスを目にする。流行りなのだろうか。

 今年の母はモード系をきどるかもしれない。八二歳のモード系も悪くない。

 

 

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東日本大震災後、友人の勧めでまとめて購入した非常食。

熱湯をいれて15分、水を入れた場合は60分後に

美味しく食べられます。

消費期限が来年の5月。少しづつ食べはじめています。

新しいものを購入する時期になりました。

西野 そら