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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

まじない

 「いってらっしゃい、気をつけてね」

 出かけてゆくひとの背中へ、わたしはまじないをかける。

 

 「いってきます」

 出かけてゆくひとは、たいていわたしと視線を合わせ、そのことばを置いていく。「頑張ってくるね」という気合いだろうか、あるいは「留守をたのんだよ」という願いか。それとも「いましばらくは離れるけれど、帰ってきますよ」という帰巣性(きそうせい)がそう言わしめるのか。いやいや、考えすぎ。単なる挨拶だろうけれど。

 でもしかし、出かけてゆくひとが靴をはくのに手間取って、視線を足元におとしたまま「いってきます」と行ってしまった場合、玄関を出て数歩進んだあたり、閉まりかけたドアからちょうどわたしの顔が見える最後のタイミングというところで、振り返る。そうして視線を交わし、確認をしあう。

 何の確認かって?

 それはやはり、互いの無事と再会であろうと思う。

 とはいっても、出かけるひとに腹を立てていたり、わたしが立てられていたりする折なんぞには、確認もせず、まじないもかけない。それだから、そういう日はどちらも多少の気まずさを感じていると思われる……。少なくともわたしは、チクリと胸がイタイ。 

 

 ある朝、夫にまじないをかけようと待ちかまえていたときだ。

 何をまちがえたか、夫が言った。

 「さようなら」

 あまりにも唐突な別れのことばに、口走った夫も、別れを告げられたわたしも「?」の顔。そして吹きだした。「いやだ、いやだ。ほら、靴脱いで。はいはい、仕切り直し、仕切り直し」

 笑いつつも、いつもとは違う言葉にわたしはおののいた。いやきっと、口走った夫もそうだったのにちがいない。よからぬことの前兆か。

 夫を玄関へ続く廊下に連れもどし、その日2度目の見送りをはじめる。

 「とにかく気をつけてね。絶対帰ってきてよ」

 握手までして、無事の帰還を強く願った朝となった。

 笑える。いま書いていても笑ってしまう。まったく縁起でもないことを口走るのはやめてほしい。

 で、その夜。

 夫は帰ってくるなり、

「無事に、帰ってきたよ」

 どこか誇らし気。わたしは無事とついた意味と夫から漂う妙な雰囲気の意味がわからず、一瞬沈黙。

「えっ、朝のこと忘れてるの?まったく、何が『絶対帰ってきてよ』だよ」

 そうだった。わたしはすっかり忘れていた。忘れたというより、よからぬ兆しなど、夫を送り出してすぐに吹っ切っていたのだ。

「忘れてません(ここは嘘)。帰ってきてくれてありがとう(ここは本心)」 

 

 意外にもセンシティブな夫である。

 

 

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京都からやってきた、飴です。

可愛らしい色合い。

西野 そら