西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

逆転

 日曜日。

 夕方、夫とともに夕飯の買い出しに近所のスーパーマケットへ行く。

 献立が決まらず、食べたいものを夫に訊ねる。

「白ワインにあうもの」

 冷蔵庫に横たわる緑色の瓶と、昼間夫が買ってきた無花果が思い浮かんだ。

 と、同時にタイミングよく、生ダラの切り身とも目が合う。

「タラのスープなんぞいかがでしょう」

 

 帰宅後、ただちに台所に立つ。

 タラのスープにいれる玉ねぎ、ジャガイモ、ズッキーニ、人参、小松菜、しめじを洗ったり刻んだりしていたとき、背後で夫がゴソゴソとなにやらはじめた。ゴソゴソの気配は感じるも、刻むことに注意を向けているものだから、しだいに気配すらしなくなる。

 

 「ビートルズが聴きたい」

 長女の声で意識が広がり、流れている音楽に気がついた。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」だ。

 うちは台所、食堂、居間がひと続きで居間の隣が和室という設え。食卓の横にある棚にはレコードプレーヤーと少しばかりのレコードが置いてある。

 夫のゴソゴソはこれだった。古いレコードをさわっていたのだ。夫がレコードをさわるということは気分がいい証拠。食卓には空の焼酎グラス。スープの風味づけにと、食べる前に開けてしまった白ワインもすでにワイングラスに注がれていた。

 そりゃ、気分もいいだろう。

 そのうえ、前記した長女からのリクエスト。そそくさと和室の造り棚に収まっている少なくないレコードの中からビートルズのレコードを取り出してきた。

 

 数曲が終わったところで、食卓に無花果の胡麻和え、レタスと水菜のサラダを出した。あと少しで生地なしキッシュが焼きあがる。焼き上がりと同時にスープを注げば、冷たいものは冷たく熱いものは冷めずに食べられる。

 というのに、ビートルズの「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」が流れるや、夫はやにわに長女の部屋からギターを持ち出し、気持ちよさ気に弾き始めた。

「いま、それやる?」「もう、ごはんできるよ」

 ほぼ同時に、次女とわたし。

「いいじゃないの」とかなんとか言う夫に、次女が追撃。夫はしずしず、ギターをもどしにゆく。子どもにはしっかりと親のことばが刷り込まれているのだ。「へえー」と感心し、「ひゃー」と叫びたくなった。素直な子どもたちへの感心と滅多なことは言えないぞという緊張感だ。

 

 そんななか、わたしの横に立った長女。

「これ、ブログ用にどう?」

 スマートフォンの画面にはビートルズの写真。なんだか、わたしのブログとは色合いが違う気がした。

「?」

「だっていつも、載せる写真がないって騒いでるじゃない」

 

 今朝。

 次女の弁当用兼朝食用につくったおかずを撮っておけばよかったと、わたしは後悔していた。たしかにブログに載せる写真がない。「逆算しなさいよ」子どもたちに言い続けてきたのは、わたしだ。

 

 子にたしなめられる、夫とわたし。

 こうして、いつしか親と子の立場が逆転してゆくのだろうか。

 

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長女がとってくれた写真です。

わたしはこういうものを撮るなど思いつかず。

長女に感謝。

西野 そら