西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

シフト

 この夏、障子の張り替えをした。

 わたしは障子を水で洗う。水で洗ってはいけないというひともおられるだろうが、わたしは洗う。

 ベランダに障子を立てかけ、水で濡らし障子紙を剥がす。厄介なのは木枠に張り付いた障子紙。ホースで水をかけながら、タワシでこすり落とす。が、あんまり長く水をかけていると木が軟らかくなって、こすったところがささくれ立つ。ここが最もてこずるところだ。

 このとき飛び散る水が顔やからだにかかる。冬ならこの水の冷たさが身にしみるが、つよい日差しのもとで浴びる水の、なんともいえぬ気持ちよさ。

 

 昨年末ここで、「障子の張り替えで年の瀬を感じたい」と書いたものの、じつは手付かずのまま新年を迎えている。

 手をつけられなかった理由に受験生がいたことをあげるのは、言い訳がすぎるだろうか。

 この冬休み、年末年始休みなく講習に通う受験生の次女は終日塾の人であった。長女は妹が家にいないならとバイトにいそしんでいた。年の瀬、年初めにただよう慌ただしさ華やかさも家族がそろう穏やかさもなく、子ども不在の家のたたずまいは休み以前の日常とさしてかわらなかった。

 それでもあのときは「いつも通り、いつも通り」とみずからに言い聞かせるように、念じていた。年賀状を書いたり、お飾りをもとめたり、大晦日にはおせち料理や年越し蕎麦をこしらえて、いつもの年末年始と同じようにすることがわたしの役目、そんな心持ちでいたのだった。

 とは言っても、とはいってもだ。受験生の体調は気がかりのひとつ。家族が風邪を持ち込むのもまずい。家族の体調管理やら受験生の志望校やらわたし自身のことでないあれこれに自分が感じている以上に気を揉んでいたのかもしれない。いつも通りと念じていたにもかかわらず、年末しごとの障子の張り替えをする気力は残っていなかった。

 

 まあしかし、障子の張り替えを夏しごとにシフトできたことはわるくない。夏に水を浴びる気持ちよさばかりでなく、木枠の渇きもはやい。適した時期でもあろう。

 こうして思いがけないときに、思いがけない変化をしてゆくのが家のしごとの面白みである。さしあたってとか暫定という言葉をともなう程度の気楽さがあっていい。

 

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 障子が主役ですが、

外のよしずの方が目立ちますね。

 

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 西野 そら