西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

捨てるわたし

 昨年の夏の終わり、糠床を捨てた。いま思えば捨てるほど傷んでなどなく、少し手入れをすれば十分糠を回復させられたにちがいない。が、あのときは、見て見ぬ振りを続けた後ろめたさに耐えかねて糠の様子もよく見ずに、捨てたのだった。

 きゅうり、セロリ、ナス、白ウリ、ミョウガ

 夏が始まったころには大好評のぬか漬けも毎日食卓に並べば、家族の箸は遠のいてゆく。人気の翳りとともに、野菜を漬ける間隔があき、しまいには漬けなくなる。

 野菜が漬かっているときには、水が出ないようにとか漬け過ぎないようにと、気持ちは糠床に向くが、なにも漬かっていない糠床を気遣うほどの働き者とはほど遠い。

 結局、ただかき混ぜるだけの、やってしまえばどうということのない手入れを怠り、糠床の容器を横目に、いつしか糠床がダメになるのを待ったのだった……。

 昨年の夏は糠床がダメになって捨てたのでなしに、ささいなことを億劫がるそんな自分に見切りをつけたくて、捨ててしまったのだろう。糠床をよく見もしなかったのはそのせいだ。

 なにも自家製糠漬けにこだわらずとも食べたい時に食べたい分だけ買えばいい。もう糠床には手を出すまい。

 ところが。

「ほれ、もういち度挑戦してみろ」と誰のお告げか知らないが、ことし糠床が我が家にやってくることになった。

 

 4月、近くに住む妹の家に遊びにいったときのこと。

 1ヶ月ちかく外に放置したままになっている到来物の上等な(ここでいう上等は相当手をかけたという意味)糠床が漬物樽であるというのだ。

「中身の保証はないけど、いる?」

 漬物樽の蓋を開けると、一見傷んでいるようには見えないが、何如せん匂いが芳しくない。かき混ぜると相当数の果実の皮や種、昆布の感触。手をかけた糠床であることは明らかであった。

「回復するかわからないけれど、やるだけやってみようかな」

 ということで、もらって帰った。 

 

 種や皮、昆布を全て取り除き、糠と塩を足し、鷹の爪を入れてまんべんなく空気に触れるようにかき混ぜた。翌日からは朝と晩に、ときにはビールなんぞも入れて混ぜること10日。芳しくない匂いは芳しい香りに変わりつつあった。ここで大根を漬けてみる。翌朝の味見ではもう少しといった具合だけれど、味は悪くない。晩にほんの少し、食卓にだしてみた。

「あ、できたの? まだ少し匂いがするけど……、おいしい」

 あっぱれ、菌の力。家族もあの異臭を放つ糠床のゆく末を見届けたかったらしい。 

   

 こうして、ぬか漬けにありつけたこの夏も終ろうとしている。

 

 もんだいは、ここからだ。わずか1年で、なにも漬かっていない糠床を毎日かき混ぜられるほどわたしは働き者になっておらず、隙あらば、怠け者の顔が出るのも相変わらずだ。

 今年も捨てる女になるというの、あんたは。

 で、インターネットで策を探して、見つけた。

「糠床の冬眠」 

 よし、試してみよう。

 

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冬眠は糠床を保存用ポリ袋に移し替えて

冷凍するのだそうですね。

西野 そら