西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

丸腰

 ブーメランが流行ったのは、たしか小学生の時代。

 くの字型のブーメランを、めがけるあてもなく空に向け投げる。投げられっぱなしに飛んでいったくの字型は「戻って」とだれかに教えらたかのように、滑らかに弧を描きわたしのところに戻ってくる。あの可笑しさ不思議さ。いっとき夢中になったっけ。それにしても、なぜに戻ってくるのだろう?

 ここ数年、夫のブーメラン化が進んでいる。

 会社へと送り出した夫が、ほどなくして戻ってくるのだ。

 ガチャガチャ(チャイムは鳴らさず、夫が玄関の鍵を開ける)の音が聞こえた日はブーメランが、いや、夫が玄関に佇んでいる。鍵は自ら開けるが靴は脱がぬまま、大きめの声で言う。

「時計忘れた」

 日によっては、時計が財布やスマートフォンに変わる。これらは夫が出かけるときの必需品ベスト3だ。だというのに、解せないことに忘れ物のベスト3でもある。

 家では必需品ではないものたちだから失念してしまうのだろうか。玄関を出て数歩、数十歩、あるいは6分ほど歩いた先の駅にたどり着いた時点でハタと思い出し、踵を返すのらしい。

 で、「お財布持った?携帯、時計は」玄関先の確認を試みた。

 それにしても確認をする日は忘れず、確認しない日に限って忘れるというのはどうしてなんでしょうね。白い服をきたときに限ってカレーうどんを食べてしまう類の不思議。こういうことってありますよね。

 さて、話を戻しましょう。

 なぜ必需品を忘れるのかという思いもあるが、それよりもなぜに戻るのか。わたしはこちらのほうに興味が向かう。

 そりゃ、財布や仕事上手放せないスマートフォンを忘れたのならば、ブーメランとなるのはわかる。しかし腕に時計がはまってないからといって、いちいち戻るほどのものかしらね。

「1日ぐらい腕時計をしなくてもいいんじゃない?時間はスマホでもわかるんだから」

 ブーメラン化の改善を目指すべく、夫に訊ねる。

「時間じゃなくてさ、出かけるときに時計をしてないと落ち着かないんだよね」

 夫は右手で左手首をさすっている。

 落ち着かない?時計への愛着心とはちがうらしいから、外へ向かうための鎧のようなものなのだろうか。「敷居を跨げば七人の敵あり」ともいうし。

 だとすると、わたしは丸腰だ。財布以外で必ず持ち歩く物がない。

 必ず持つ物がないというのは詫びしいような気がしないでもないが、持たねばならぬものがなければブーメラン化には陥らないのだし。

 わたしはその良き点に目を向けたい。

 

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西野 そら