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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

「ほらほら、さっさとお読みなさいな」

 「ほらほら、さっさとお読みなさいな」

 返却日の差し迫った単行本三冊が鎮座する棚から、お咎めの波動を感じるようになって一週間が過ぎた。

 図書館から借りてきたその日に表紙を開いた『読む力・聴く力』(*1)はとうに読み終えたから、あの声は『わたしを離さないで』(*2)か、『日の名残り』(*3)のどちらかだ。

 図書館へはカズオイ・シグロの本を目当てに出かけたというのに、なかなかそこに手が伸びず、読まぬまま返却ということにもなりかねない、そんな気配が胸の内に立ち込めていたときでもあった。

 しばらくは「さっさとお読みなさいな」というお咎めをはぐらかしてきたけれど、もう解放されたかった。そうだよね、サッさと読んでしまえばいい。

 で、『わたしを離さないで』を手に取る。

 一気に引き込まれるというのではなしに、徐々に物語がみえて、少しずつ腑に落ちてゆく。腑におちると同時に、また別の違った類のわだかまりが発生するような不思議な本であった。

 そしてさらに、一人称の小説の面白さというのか、あるいはこの本に限ってなのかはわからないが、読了後、頭のすみにいつづけたのはどうしてだか、「思い込み」。

 主人公かつ一人称のキャシー・H。

 キャシーは思慮深いが思い込みも激しいのじゃなかろうか。彼女を取り巻く人々との会話や態度や教えからキャシーが感じとることごとの少なからずが、思い込みや思い違いである。その思い込みが結局はある意味、無意味な悲しみ、喜び、諦め、恐怖、自負つながっていると思われてならない。 

 読者になにかを思い込ませ、よいところでうまい具合に裏切り、さらに物語に引き込ませるのが小説だとしても。

 考えてみれば現実を生きるわたしもそうだ。

 他者の真意はさておいたところの、話しているときの声のトーン、目線、態度で、勝手にたじろいだり、喜んだりしているのにちがいない。相手との距離が遠ければ遠いほど、思い込み(憶測)が強く働くのかもしれないが、距離が近いからという理由で思い込まなくなるというのでもない。

 他者の真意は言葉を通してさえも完全にわかることはないだろうが、言葉にできない本当のところ(その正体の有無に関わらず)を知ろうとするあまり、言葉以外で探る。そうして生じる思い込み。この思い込みが随分と物事をややこしくしているのだろうな。

 

 そうだ、『日の名残り』も読まずに返却はできないぞ。

 

                     *1『読む力・聴く力』河合隼雄立花隆谷川俊太郎岩波書店

                     *2『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳(早川書房

                     *3『日の名残りカズオ・イシグロ著 土屋政雄訳(中央公論

 

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読むのに時間がかかるのだから、

せめて二冊にしとけばいいのですが、ね。

 

西野 そら