西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

富士宮やきそばを食べながら。

 山梨県甲州市へ行った。

 滞在二日目。

 青木ヶ原樹海にある鳴沢氷穴富岳風穴へ向かう。

 宿から出てしばらくすると車は山道にはいり、右に左にくねくね走る。ようやくくねくねが終わったかと思えばまたはじまり、山を下っているのか、登っているのかわからない。これほどくねくねが続くというのに、車酔いしないのは運転する夫に命をあずけているという緊張感からだろうか。が、後部座席の娘たちはくねくねにも気づかず、目を閉じている。

 

 くねくねの終わりは青木ヶ原樹海のはじまりでもあった。

 鬱蒼とした木々が道路の両側に広がる。その奥行きはどれほどなのだろう。自殺の名所と知られる青木ヶ原樹海であるけれど、実は遊歩道があり、キャンプ場や公園もある観光地なのだそう。

 しかし、道路沿いの茂みからは、戻ってこられなくなることがわかっているのに、はいってゆきたくなるような、深い森の不思議さが漂う。とはいっても……。

 とはいっても、いつもゆく公園程度の木々ならば、茂った葉が気持ちよい木陰をつくり、マイナスイオン効果ありがたや、なんぞと喜んでいるというのに、整備されぬ自然にはただただ怖気立つ。

 

 下へ、したへ降りてゆく鳴沢氷穴、横へ続く富岳風穴を歩き終え、富士宮市に向かう。B級グルメ富士宮やきそばを食べようというのだ。

 国道139号を南へひた走る。

 突然、いや本当は突然ということはないのだろうが、大きな、おおきな富士山が左手に現れた。山梨にきてから、遠くに(といっても東京のわたしの住むまちからみえる富士山より、はるかに近いけれど)その形を見てはいたが、目前にそびえたつ富士山はただただ、大きく、美しく。威風堂々としたその姿はたしかに日本一の山なのであった。

そこにあるだけで、静かにされど圧倒的な存在感を示す富士の山に、なるようにしかならないのだという、自然の威力を見せつけられた気がして、その姿から目が離せなかった。同時にこうも思った。

「よく、この山に登ろうなんて思うよね」

 夏の富士登山者は増えているようだけれど、わたしはその大きさに圧倒されて、登山など考えられない。まあ、頂上から見る景色がどんなものか知らずにいるのも惜しい気はするけれど。

 

 それにしても、畏敬の念を感じずにはいられない雄大な富士山の、そのすぐそばで暮らす人たちは、この有りようをどう捉えているのだろう。

 富士宮やきそばをつくるお母さんと息子らしき二人の姿をみて、そんなことを思う。

 

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鳴沢氷穴の氷柱です。

氷穴にはいると気温は0度なのだとか。

沢山の観光客が列になって歩きます。

寒さを肌で感じるというよりは、

観光客の「寒〜い」ということばから

寒さを感じるような気がしました。

西野 そら