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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

道草、寄り道。

 主婦の外出先などたかが知れている。いやこういう書き方はまずい。主婦とはわたしのこと。外出先の乏しいのはわたしである。

 週に3,4日食料品の調達に駅前のストアにゆく。また週1回の割合でドラッグストアへゆき日用品を調達する。ストアは歩いて5分、ドラッグストアは7分だが、逆方向にあたるためいち度に両方はゆけない。

 

 一方に、行って、買って、帰る。もう一方に、行って、買って、帰る。 

 そしてときには、行って、買って、喋って、喋って、帰る。というようなこともある。話し好きの友人に遭遇したときだ。この場合は観念するしかない。「知ってる?」からはじまり、学校や子どもたちのあれこれを事細かに教えてくれるものだから10分、15分はあっという間に過ぎる。それでも子どもたちの学校事情に疎いわたしは(敢えて知りすぎないようにしているところもある)学校事情にふれる機会になる。学校事情を知る機会というよりは、わたしの知る真実とは異なる真実にふれ、きっと真実はひとの数だけあるのだろうから、やっぱり噂話なんぞは話半分で聞いておこうと思える機会なのだ。

 行って、買って、喋って、喋って、学んで、帰る。ともいえるが、なんとなく道草を食った心持ちにもなる。時間を食われる感じだろうか。だから話し好きの友人を遠くにみつけると、気がつかなかったことにして(許せ)さっさと買いものをすませてレジへ

並ぶこともたまさか、ある。

  

さらにもうひとつ、行って、読んで、買って、帰る。というパターンがある。いつもゆくストア2階に書店がある。とくに買い求めたい本を持たずとも、ふらっと立ち寄るときのことである。

 ストアに着くや不意に書店が恋しくなり、上りエスカレーターに足をのせている。繰り返しからの逃避なのかもしれない。そういえばこういうときに向かう先は最も日常とかけ離れた女性月刊誌(高級さが売りと思われる)の並ぶ棚である。見るからに高そうな服をまとった女優やモデルをみて達観しているのかもしれない。わたしはわたし。

 行って、読んで、買って、帰る。これは必要なひととき、寄り道である。

 

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実はこれ、およそ2年前に書いた文章です。

写真のUSBメモリから引っ張り出して載せました。

車があるいまは、買い物事情も変わっています。

西野  そら