西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

ピンクの電話

 わたしの携帯電話はいわゆるガラケーというやつだ。

 五年ほど前、高校二年だった長女から譲り受けたおさがり。以来、わたしはマットなピンク色をした携帯電話の主である。

 五十歳を過ぎてからは、鞄やポッケトから携帯電話を出すその瞬間、ピンクであることにわずかなためらいを感じないわけではないが、充電がすぐになくなることを除けば事足りているのだから、買い替えるための差し迫った理由がなかった。

 それに、わたしは<あのスマートなフォン>を持つことに少しばかり抵抗してもいるのだ。

 

 まあ、元来の天邪鬼である。携帯電話が普及しはじめたころも「固定電話で十分です」と頑なに持つことを拒否した。夫がパソコンを購入したときも、家でもコンピューターに支配されるのかと、そうとう嫌味を言ったりもした。

 というのに、わたしったら今では携帯電話もパソコンも手放せない。さして必要ではないはずだったものが、手放せないものに変わってゆくこととは……。

 携帯電話は友人との通信よりも子どもたちとの連絡にたいそう活躍したし、いまもその役を担ってくれている。そうだ、緊急事態時にも威力を発揮する。たとえば約束の時間に遅れるという場合は待たせる立場、待つ立場であっても情況がわかるだけで、相当気持ちが楽になる。

 見方をかえれば、都合よく言い訳できる手段を手に入れてしまったから、焦ったり、イライラしたりの経験や戒めを失っているのだろうけれど。

 わたしにはピンクの携帯電話で十分。電話と、さして使わぬメール機能があれば事足りる。

 これ以上便利なスマートフォンをもってしまったら、どれだけ彼奴に頼ることになるのだろう。少し恐ろしくもなる。

 電車で四角い彼奴と睨めっこだけはしまい、ましてや歩きながらなんて。と今は心しているが、これまでの自分の変化を知っているからなんとも情けないけれど、持つまいぞ、とも思うのだ。

 

 が、実はいま、スマートフォンへの買い替えを考える事態に直面している。いやいや、直面というほどのことではないけれど。

 次女の部活の母さまたちがラインのグループをつくるというのだ。小さい声でガラケーであることをアピールしたものの、「ガラケーでもできます」ですって。

 で、さっそく長女に手筈を整えてもらったが、ラインでの会話のなんという面倒臭さ。

手軽にできるはずラインがガラケーでは、しち面倒臭い。

 このままラインのグループにはいらず通そうか、それとも買い換えようか。

 悩みどころである。

 

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あまりにも古いので、派手な小物入れに

置いてみました。へっへっへ。

西野  そら