西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

天下人

 およそ四十年ぶりに日光東照宮を訪ねた。小学校の移動教室以来だ。

 日光へは別に目的があったのだけれど、せっかくこの地へ来たのだからと、なかば思いつきで立ち寄ったのだった。     

 が、しかしねえ、日光東照宮がこれほどの人気スポットだったとは知らなかった。

 修学旅行の小学生たちの多さはわかるとしても、右からは中国語らしき言語。左からは聞き慣れぬ言語。思わず顔を向けるとその先にはお国はわからねど、東洋人の集団がある。もちろん聞き慣れた日本語。英語もちらほら。とにかく雑多な人種の老若男女でひしめいていた。

 

 常にどこかが工事中の東京駅、新宿駅、渋谷駅のごとく、日光東照宮もどこかしら修繕中で、「見ざる聞かざる言わざる」三猿の彫刻はレプリカがはめられていた。

 建造物や彫刻をじっくり見たいものの、なんせ人が多い。じっと立ち止まっていては往来の邪魔になってしまうので、人の波にのり、先に進む。    

 

 ようやく四十年前の記憶がかすかに蘇ったのは陽明門の左右に伸びる回廊をまえにしたときだった。緑、朱、金の色がわたしのイメージするところの東照宮で、まさにその色が目に飛び込んできたのだ。

 久方ぶりに目にする色彩は懐かしくもあったが、この度は彫刻の繊細さに息を呑んだ。なんという細やかさ。この精妙な彫刻の美しさは小学生にはわかるまいな。ヒョイと周りを見渡す。が、そこに小学生等の姿はなかった。彼らはサッサと陽明門をくぐって行ってしまう。なぜか、先を急いでいるらしかった。見て回るのが目的でなしに早く回ることに重きをおいているよう。まあ、その気持ちもわからないではないけれど。

 とはいえ、子どものころ、この彫刻の美しさに気づかなかったわたしも、小学六年の修学旅行で歴史の種播きがされたからこそ、数十年後の再訪につながったのかもしれないのだから、小学生は小学生なりの東照宮を感じることが肝要。

  

 平成二十八年は御鎮座四百年なのだそう。

 四百年以上も前に生きた徳川家康。現在の民たちにもお金を落とさせ、この地の活性化に繋なげているのだから、まさに偉人。

 

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象の彫刻。

西野  そら