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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

東京国立博物館 平成館にて

 ほのかに明るい空間へ一歩足を踏み入れると、椅子に腰掛けた一人の女性がこちらをじっと見ている。目が合っているようでもあるし、わたしをすり抜けて、もっと先をみつめているようでもある。表情がありそうでなさそうな眼差しから目がそらせなくなる。

 2016年5月の連休の只中であるのはまちがいようもないのだけれど、たちどころに時の進み、漂う空気が変質してゆく。美術展のもつ特別な時空の広がり。

 

 女性の眼差しの先にはなにがあるのだろう。一歩下がってその画を鑑賞する。少しばかり広がった視界。額の横に音声ガイドのマークをみつける。ついと現に戻らされ、首にぶら下げた機械のボタンをそそくさと押す。

 

 1892年、黒田清輝がフランス人の恋人をモデルに描いたものだと耳元で音声ガイドが語る。黒田は法律を学ぶためにフランスに留学したものの画家や美術商と出会い、画家としての歩みをはじめた。

 

 黒田の画とともに、師であるラファエル・コラン、黒田が影響を受けたというジャン=フランソワ・ミレ、ジュール・パスティアン=ルバージュの画がならぶ。

 彼らからどれほど学ぼうとしたことか。黒田の画をみると想像に難くない。

 

 画を追ってゆくうちにこれまでの美術展では想像すらしなかったことに気持ちが向かう。大きな画を前にすると完成された世界へ引き込まれてしまうが、この度はところどころに掛けられるデッサン画が、大作が仕上がるまでの過程を想起させるのだった。同時に、

「小説も随筆も詩も作家は書いているのではなしに、言葉を紡いでいるのです」

 いつか聞いた思想家の言葉が思い浮かんだ。

 とはいっても、その過程の手間はつゆほどものぞかせないのが偉大な芸術家、作家たる所以なのだろうけれど。

 

 後半の展示室では「昔語り」という作品を鑑賞したあと、完成までのいくつかの過程をみることができる。想像以上の緻密さ。巧妙さ。繰り返されるデッサン。仕上げるまでに要する時間はいかばかりか。

 

 なにごともインスタントな成功でその気になれるこのごろ。なんでもかんでも合理化、短縮化をよしとする風潮。一方で無駄を省くことで起きていると思われるひずみも感じずにはいられず……。胸の深みでジワジワと広がっていた腑に落ちなさがが「昔語り」に重なる。 

 

 思いもかけず、じっくりと時間をかけるからこそ備わる作品の強靭さに、あらためて気づかされた、黒田清輝展。

 

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東京国立博物館の鬼瓦です。

黒田清輝展は平成館で開催されています。

特別展「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」 
平成館 特別展示室   2016年3月23日(水) ~ 2016年5月15日(日)

西野  そら