西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

知らないことだらけ

 近所の友人ふたりとお茶飲みの約束をした。うちの前で待ちあわせ、歩いて15分ほどのカフェをめざす。

 長閑なその日、道すがらの公園ではわずかに残る桜花と芽吹きはじめた若葉が、わたしたちの歩みを止めにかかる。

「満開の桜もきれいだけど、葉桜もいいよね」

「清々しさが、いい」

「季節は移ろいでいるのよね」

 作為なく変化を遂げる桜の大木。自然はひとを饒舌にさせるのだろうか。わたしたちは目に付く木々や草花のはなしにひとしきり盛り上がった。

 ふいに目の端に花の群衆をとらえる。視線を下げると<あの花>が咲いていた。

 道端でよく目にする薄紫色の花。白いのもある。もう何年も、見かけるたびに「好きな花」と認識をするものの、帰宅するころには花のことなどすっかり忘れ調べもせず、わたしには名無しの花なのであった。

 ところが数日まえ、忘れずに家にたどり着きついにインターネットでの検索をしたものの、調べ方が悪かったのか、わからないまま諦めたのだった。

「この花、なに?」

 話を遮るように、ふたりに訊く。

「よく道端に咲いてるよね。なんだろう」

 ふたりも知らなかった。

「よく見るけど、知らない草花って意外にあるのよね」

 今でいうところのアラフィフ(50歳前後)の3人の話題は<草花>から<知らないことの多さ>についてへとかわった。

「大人になると初めてのことが少なくなるっていうの、あれ、違うよね」

「ちがう、違う。半世紀生きても知らないことだらけよ」

「若いときには気にならなかったことがある年齢になると気になりはじめるのよね」

「逆に若い頃に気になったことは気にならなくなっていくし」そうそう。 

 知りたくなったときは、出合いのとき。

 執着しなくなるときは、手放しどき。

 年を重ねたからこそ知ること、知ろうとすることがある。草花、人との関わり方、スポーツ、文学。知る(出合う)までに時間を要した分、知った(出合えた)喜びはひとしおであり、もっといえば、これからどんな<初めてのこと>に出合うのかワクワクさえする。

 

 楽しいお茶のみだった。帰宅してからもう一度<あの花>をインターネットで検索してみる。誰もわからなかった名無しの花は、ハナニラであった。

 翌日、ハナニラと認識してから初の対面を果たす。

「あなた、ハナニラっていうのね」

 

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 ハナニラです。

群生しているので、目につきます。

可憐な花ですが、丈夫なのだそうです。

西野  そら