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西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

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 電車に乗りそびれた。

 乗り遅れたのとはちがう。電車に乗り込むはずの一歩を、なぜかホームと電車のあいだに踏み込んでしまったのだ。もう一方の足はハードルを跳ぶときのかたち、つまり膝と足首が90度にまがったかたちでホームに止まった。

「ハードルを跳ぶときの姿勢」

 こんな非常事態に阿呆みたいなことが瞬間的に浮かび可笑しくなった。可笑しさと恥ずかしさでニヤケながら、

「助けて」 

 見知らぬ乗客たちを電車の床の高さから見上げ、手を差し出した。驚いた顔で見下ろす数人が無言のままであるけれど、俊敏にわたしの手を掴み引き上げる。おかげで無事に乗客のひとりとなった。 

 大事に至らなかった安堵のような雰囲気と可笑しさが漂う車両のドア付近。

「ありがとうございます。お騒がせしました」

 恥ずかしくもなくその電車に乗るかね、と今なら思うのだけれど、当時のわたしは愛想よくこうお礼を言って何食わぬ顔で目的駅まで乗車したのだった。

 

 じつはこの場面、ときどき蘇りはするものの時期がはっきりしない。薄い記憶に残るのは三十数年前の予備校生時代のわたしであるような……。

 後にも先にも電車とホームに挟まったのはこのときだけであるけれど、駅員がくることも、電車が遅れることもない、迅速な救出劇であった。

 それにしても、あのころ、三十年前はのんびりしていた。少し前には自他の失敗を許すおおらかさ、許すというよりは失敗しないひとはいないからね、という暗黙の諒解があったような……。

 

 誰もかれもが<スマートにホン>している今では、線路と電車に挟まったひとに気づくまで時間を要すかもしれない。よしんば気がついたとしても助けるより早く、

「だれかが電車とホームに挟まってる!」

 とかなんとか不要につぶやき、過ぎる線路点検がされて、徒らに遅延となり、ホームと電車に挟まったひとはますます世間の怒りを買う事態に陥る。失敗は失敗に止まらず、たちまち非難や嘲りの的になりかねない。こんなだから過度に失敗を恐れるようになるのにちがいない。本当は失敗から学ぶということも、わたしたちは知っているのだけれどね。

 

 このごろの<不要や過度>の連なりは、なんなのだろう。

 危うきこと累卵の如し。 

  

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先日購入した寝袋です。

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西野  そら