西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

遠い先のこと

 家の事担当の身である。ひと月の予定の程度は知れているからスケジュール帳は持たない。わたしの予定表は居間の壁に掛かるカレンダー。

 もとより1週間以上先のことには気持ちが向かわないし、予定が重なると気が重くなる。

予約を入れるのが当たりまえとなった美容院でさえも、ほんとうなら髪を切りたくなったその時にふらっと美容院に立ち寄りたい。

 とはいえ、美容院も安定した利益を確保しなければならないし、忙しい客もいる。双方の事情を慮っての予約形態なのであろう。わたしもいまの風潮に倣って髪を切ったその日に次回の予約をいれるものの、ふと「2ヶ月先のことなんぞわからん」とすてばちな気持ちに、なったりならなかったり。 

 

 4月になると子どもの通う学校から年間予定表が配布される。自分の予定と学校行事が重なることはほとんどないが、念のために1年分の予定を居間のカレンダーに書きいれる。1年の運び方への心構えというのもある。しかしながら、毎年9月の予定を書き入れるあたりからあまりにも先のことのように思えて行事への構えは薄くなる。

 そういえば、数年先まで予約で埋まる寿司屋やレストランがあるらしいが、数年後、待ちに待ったその日まで生きながらえているとも限らず、生きていたとしても、それを食べたいと思えるかしらと、ついつい疑念が湧く。

  

 先日、娘が進学する高校の提出書類の中に、将来進学したい大学、学部。就きたい職業を記す欄を見つけ、思わず「ウッ」となった。この「ウッ」は中学3年生にそれを聞くかという驚きと、やっと目の前の目標を成し遂げたばかりだというのに、さらに遠い先までも考えなければならぬ閉塞感といったものだ。

 もちろん記したとおりにならなくても構わず、あくまでも予定、夢、目標といった類であろう。たしかに夢や目標を持つことは学校生活の指針となりうるが、日々のことに向き合った結果「つながるなにか」もあるのじゃなかろうか。

 娘はさらにその思いが強く、いまだ空欄は埋まらない。提出期限ぎりぎりまで悩むにちがいない。

 

 兎にも角にもわたしは目のまえにおかれたことと向きあうので手一杯。

 遠い先のことまで気持ちが向かわない質である。

 

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気に入りの麒麟です。

普段は娘たちの髪留め用のシュシュが

首にぶら下がっています。

西野  そら