西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

視線

 買い物からの帰り道。

 突然後ろから、

「なに見てるんだよ」

 と、女の子の声。

「誰に向かって言ってんだ」

「おまえが先に絡んできたんだろ」

 

 反射的に振り返った。

 言い合いをしているひとりは、コンビニの前のガードレールに腰掛けていた高校生ぐらいの女の子。相手はわたしが彼女の前に差し掛かったところで店から出できた、恰幅のよいスーツ姿のお爺さんであった。

 

 あのお爺さん、あの娘のことをジロジロ見たんだろうな。 

 こう思いつつ、ドキリとした。わたしも通りすがりに高校生かしらと彼女の顔をチラッと覗いたからだ。怒鳴られるのはわたしであったかもしれなかった。

 

 平日の昼間だ。高校生がいるはずのない時間。とはいえ同じ年頃でも、高校に進学しないひと。夜学に通うひと。それぞれだ。若く見えるひともいる。よしんば彼女が高校生であったとしても、休校かもしれないし、たんに休んだのかもしれない。

 それを高校生の年頃というだけで、わたしは非難めいた気持ちで彼女を見たのではなかったか。

 

 事情も知らずに目の前にあることだけで、これは良きこと、これは悪しきことと決定するのはあまりにも無責任だと考えてきた。そんなふうに振り分けられた良きこと、悪しきことではどのみち鬱々とした心持ちになるだろうとも。

 早急に判断しないというのはそうとう難しいけれど、早まらないぞという思いは忘れたくない。

 ああ、しかし常識や思い込みで良し悪しの目を向けていることがまだまだ少なくないのだな。

 

「なに見てんだよ」

 本当に。わたしはいったいなにを見ようとしていたんだかねぇ。

 

 

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 昨年12月に書いた

sosososora.hatenablog.com

割れた急須が、

金継ぎを施してもらい直ってきました。

お願いしたのは三鷹にある小古道具店「四歩」さん。

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うつわ直し643の三重野さん。

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 西野  そら