西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

ハッとする。

 意識が実年齢に追いつかない。

 その実、小さな文字は見づらいは、白い髪は染めても染めてもたちどころに白くなるは、「えっ?えっ?」と耳の後に手のひらを当てるあの動作も、めっきりふえた。半世紀分のがたはきている。 

 にもかかわらず、心の持ちようは30歳代後半あたりのわたしと大差ない。恥ずかしながら気持ちは30代。

 

 たとえば電車の乗客となるとき。

 よほどガラガラでない限り、座らない。座席を譲るか否か逡巡することが少なくないからだ。

 長幼の序が刷り込まれている。自分より年長ならば(気持ちは30歳代。40歳ぐらいの人が前に立とうものなら)、前に立たれるだけで落ち着かない。席を譲りたい気持ちははやるものの、席を譲られる側にすれば、見るからに老人というひとでなければ、老人扱いを嫌うひともいる。そんなわけで逡巡せざるをえない。実に難しい。

 平日のお昼だった。車両の乗客は10人程度。めずらしく座った。数駅を過ぎたあたりでかなりの乗客数となり、わたしの前にもご婦人がやってきた。瞬間的に腰を浮かし、

「どうぞ」

 譲る気満々でいたが、そのひとはポカンとした顔で

「結構です」

 と、きっぱり。ハッとした。よくよく見るとそのご婦人、わたしとさほど変わらなそう。まさかのご同輩。

 気持ちは30歳代のわたし。刷り込まれた長幼の序が咄嗟に働いたにすぎない。されど、同じようなくたびれ具合の者から席を譲られたご婦人はさぞ驚かれたことだろう。外見はきっちり実年齢どおりであるのだと、今更ながら気がついた。

 

 つい先日。同い年の友人と2年ぶりに会うことになった。会社時代の同期。彼は30歳からフリーランスの放送作家となり、数日後には中学受験を控える一人息子がいる。

 そんな友人が、

「ある時期から、年齢の感覚が止まってるんだよね」

 フリーとなり20年。気がつけば周りには年下のスタッフが少なくないにも関わらず、つい敬語で話してしまうらしい。まだどこかで、教わる立場が抜けきらないと言うのだ。

「わかる、わかる。わたしもね……」

 気持ちは若いという話で盛り上がる。

 しかし悲しいかな若さという自意識を話している二人であるのに、互いに、耳の後ろに手のひらを当て、記憶回路もとどこおりがち故、「あれ、ほらあのひと」とかなんとか言いながら、なかなかか話がすすまない。

 見るからに若くない二人である。

 

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寒かった週末。甘いものが食べたいとリクエスト。

野菜室にあった最後の一本。

焼き芋にしました。

 

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焼きたてで、どうしてもレンズが曇ってしまいます。

熱々を食べたいと急かされ、撮影断念。

よくわからない写真でごめんなさい。

西野  そら