西野そらの日々の事ごと

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

はじまり

 元旦。

 届いた年賀状に目を通しながら、宛名ごとに仕分ける。

 わたしには歯科医院、整体、ショップから届いたものを除けば、昨年末に書いた年賀状よりわずかに少ない枚数が届いた。

 学びの時代、勤め人の時代、親としての時代があり、ぞれぞれの時代には相当数のひととの出会いがあったけれど、いまなお年賀状のやりとりが続くのはどの時代の友人も数人程度である。

 とはいえ年賀状のやりとりが続く友人とは決して親しい関係ばかりではない不思議がある。20年来、年賀状のやり取りだけでつながる学びの時代の友人あり。娘が幼いころに通った公園で出会い、子供の幼稚園も学校も別々であるというのに、年に数度スーパーマーケットや道端でバッタリ会うと立ち話をする間柄の友人あり。

 

 つい10日前の昨年末、年賀状を書きながらどんなに親しくしていたときがあろうとも途絶える縁のある不思議、いちどは途絶えたけれど再びめぐる縁の不思議を考えたのだけれど、友人から届いた年賀状を読んで、ふとそれを思いだした。

 

 今年初めていただく年賀状もあった。

 友人と呼ぶには口幅ったいような先輩たちからだ。

 美しい文字を追いながら、付かず離れずの距離を思う。この先もずっと付き合いを続けたいと思ったところで相手の意思があることゆえどうなるかはわからいとしても、強引に自らの思いを押し付けたり、わかってもらおうとし過ぎてはならぬぞ、と自らに言い聞かせる。

 親しくなるほどに遠慮がなくなるから。親しくなるほどに違いを埋めたくなるから。わたしの記憶のなかの苦い経験がそう思わせるるのだ。

 いやいや、続かぬ縁が悪いのではない。続かなかった縁から学ぶことも少なからずあったのだし。

 

 出会えたこと、それが大事。

 

 さあ、2016年がはじまった。

 

 f:id:sosososora:20160105131016j:plain

 

夫の正月休み最終日、

多摩湖にドライブに行きました。

小春日和のお正月。

西野 そら