西野そらの日々のこと 

「書く」ことを暮らしのなかの一つに。日々の些事をどう受け止め、考えたのか。忘れないように。

「読まぬなら、わたしが読もうホトトギス」

今週のお題「愛用しているもの」

 

 読みたい本、読みさしの本が積ん読(つんどく)状態になりつつある。

 このところ本であろうが新聞であろうが、なかなか読み進まない。老眼が進んだか。いやいや、老眼のせいばかりとは言えまい。集中力もそうとう落ちてきた。年齢のせいにしたら年長者に鼻で笑われるだろうか。

「へっ、言い訳よ」。

 

 その日も新聞を顔に近づけたり離したりしながら、斜に記事を読んでいた。

「来年度の就職活動見直しも」の見出しに目がとまる。就活解禁の後ろ倒しは企業、学生のどちらにも不評とある。ああやっぱり。そうだよね。今夏、酷暑のなか、黒いリクルートスーツを着込んだ学生を見かけるたび気の毒に思った。とはいえ、後ろ倒しになったのには理由があるのだろうし、どの時期になっても一長一短あるのにちがいない。

 来年度、就職活動を控える長女に記事のことを伝え、新聞を長女の勉強机に置く。

「新聞読んだ?」

「あっ、まだ。忘れてた」

 数日の「読んだ」「読まぬ」のやりとりの末、はたと思い浮かぶ。

「読まぬなら、わたしが読もうホトトギス

 それからというもの、新聞記事。書籍の一部分。ブログ記事。とにかく読んでもらいたい内容を見つけるや聞かせたい相手のとなりにゆく。あるいは夫、娘がそろう食卓ではじめる。

「すぐに終わるから、ちょっと聞いててね。『あるメーカーの採用担当者は……』こういうことらしいよ」。

 「知ってほしい」という動機であったとはいえ、ここのところのわたしは自分のために読んでいるようなところがある。

 たとえば件の就活問題。ほんとうは娘が状況や要領を理解していればよいこと。しかし、親としても気がきではない。が、冒頭の読み進めない事情がある。

 

 本当のところあやふやな理解だというのに、わたしは斜めに読んで拾った文字だけでわかったような気になっていたのではなかったか。

 朗読の功名は斜め読みができないことだ。把捉の程はさておき、とりあえず最後まで一字一句飛ばさずに読み切る。このことはおもいのほか肝要で、伝えたい相手だけでなしに読み終えたこのわたしも、

「へえ、そういうことか」と、こうなる。

 

 

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今週のお題 「愛用しているもの」

ノートパソコンといつもの写真を撮っているカメラです。

この写真は次女のスマートフォンで撮りました。 

西野 そら